近年、「量子コンピューター」という言葉を耳にする機会が増えてきましたね。まるでSFの世界の話のようですが、私たちの未来を大きく変えるかもしれない技術として、世界中で研究が進められています。この量子コンピューターの土台となるのが、「量子もつれ」という、とっても不思議な現象です。これまで、この量子もつれが「瞬時に」起こると考えられていましたが、このたび、その常識を覆す驚くべき研究結果が発表されました。今回は、その詳しい内容と、私たち日本の生活にどう関係してくるのかを、一緒に見ていきましょう。
その研究とは、ウィーン工科大学の科学者たちが発表した Scientists Have Finally Measured How Fast Quantum Entanglement Happens - IFLScience です。近年、この研究チームは量子もつれが形成される速さを「アト秒」という超高速な時間スケールで測定することに成功し、この現象がどれほど速く展開するかについて初めて手掛かりを与え、瞬時に起こるという長年の考えに一石を投じました。
量子もつれ、ついにその速度が明らかに!「瞬時」ではなかった驚きの研究
私たちは普段、目に見える大きな世界で生活していますが、原子やそれよりもっと小さな「素粒子」(例えば、中性子、光子、電子など)といった超ミクロな世界では、まるで魔法のような現象が起こります。これが「量子物理学」という分野で研究されている内容です。この世界では、時間が「マイナス」になったり、粒子が同時に2つの場所に存在したりすることもあります。「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験がありますが、これはまさに「重ね合わせ(superposition)」という量子力学の考え方を表しています。まるで、箱を開けるまで猫が生きている状態と死んでいる状態が同時に存在している、といったイメージですね。
そして、もう一つ、素粒子の世界で特に奇妙な現象が「量子もつれ(Quantum Entanglement)」です。これは、2つ以上の粒子が、たとえどれほど遠く離れていても、まるで目に見えない糸でつながっているかのように深く関連し合う現象です。どういうことかというと、片方の粒子の状態を測定すると、もう片方の粒子の状態も瞬時に決まってしまう、という不思議な関係のことです。
「粒子たちは個別の性質を持たず、共通の性質しか持ちません」
ウィーン工科大学(TU Wien)理論物理学研究所の教授であるJoachim Burgdörfer(ヨアヒム・ブルクドルファー)氏は、この量子もつれについて「粒子たちは個別の性質を持たず、共通の性質しか持ちません。数学的に見れば、たとえまったく異なる2つの場所にいたとしても、それらはしっかりと結びついているのです」と説明しています。
これまでの研究では、量子もつれは「瞬時」に、つまり時間が全くかからず発生すると考えられてきました。しかし、今回、Burgdörfer氏と彼のチームは、量子もつれが瞬時ではなく、非常に速いながらも「有限の」速度で発生することを初めて明らかにしました。この現象が起こる時間は、秒やミリ秒といった単位では測れません。使われる単位は「アト秒(attosecond)」です。アト秒(10⁻¹⁸秒)。これは1秒の100京分の1に相当する、想像を絶するほど短い時間の単位です。
研究チームは、この量子もつれがどれほど速く発生するかを正確に測るため、原子に「レーザーパルス(laser pulse)」と呼ばれる非常に強力で短い光を照射しました。すると、原子から1つの電子が飛び出すことがあります。時には、2つ目の電子も影響を受け、高いエネルギー状態になり、原子核に束縛されたまま軌道が変化することも観察されました。
「私たちは、これら2つの電子が量子もつれの状態にあることを示せます」とBurgdörfer氏は述べています。「それらを一緒にしか分析できず、片方の電子を測定すると、もう片方の電子についても同時に知ることができるのです」。
物理学者たちは、2つのレーザービームを使って、飛び出す電子の「誕生時間」と、残された電子がどのように関連しているかを示しました。Burgdörfer氏によれば、正確な時間は「原理的に不明」であるものの、残された原子が高いエネルギー状態にある場合、飛び出した電子がより早い時点で飛び出した可能性が高いことを示唆しています。逆に、残された原子が低いエネルギー状態にある場合、後になって飛び出した可能性が高く、この場合は平均232アト秒かかったと報告されています。
ウィーン工科大学理論物理学研究所の助教授であるIva Březinová(イヴァ・ブレジノバ)氏は、「電子は原子からただ飛び出すのではありません。言わば、波が原子からこぼれ出すようなもので、それにはある程度の時間がかかります。まさにこの段階で量子もつれが発生し、その効果は後で2つの電子を観測することで正確に測定できるのです」と説明しています。
この研究成果は、物理学の重要な学術雑誌である「Physical Review Letters」に掲載されました。
なぜ速度の解明がそんなに重要?日本の未来への影響も
今回の研究が明らかにした「量子もつれ」が瞬時ではなく、非常に短い時間ながらも有限の時間で発生するという発見は、単に科学的な好奇心を満たすだけでなく、これからの「量子コンピューティング(quantum computing)」という技術の発展にとって、非常に大きな意味を持っています。
量子コンピューターは、従来のコンピューターでは解決が難しいような複雑な問題を、量子力学の原理を利用して桁違いの速さで解き明かす可能性を秘めています。その計算能力の源泉の一つが、この「量子もつれ」なのです。
量子コンピューター開発をより精密に
これまで、量子もつれは「瞬時に発生する」と漠然と考えられていました。しかし、それが有限の時間で、しかも具体的な測定が可能になったことで、私たちはこの現象をより深く、そして精密に理解できるようになりました。これは、量子コンピューターの「設計図」を描く上で、非常に重要な情報となります。
例えば、量子コンピューターの性能は、いかに正確に量子もつれの状態を作り出し、それを維持できるかにかかっています。今回の研究で、電子が原子から飛び出して量子もつれが形成されるまでの詳細な過程が明らかになったことで、私たちはそのプロセスをより細かくコントロールしたり、望まないノイズ(エラーの原因となる要素)を減らしたりするためのヒントを得ることができます。
また、アト秒という超短時間スケールでの測定は、量子状態を操作する技術、特に「レーザーパルス」を使った制御技術のさらなる進化につながるでしょう。これにより、より安定して高性能な量子コンピューターの開発が加速する可能性があります。
日本の量子コンピューティングへの貢献
日本でも、量子コンピューティングの研究開発は国家戦略として力を入れています。NTTや日立、東芝といった大手企業や、東京大学、慶應義塾大学などの研究機関が、それぞれ独自の強みを生かした研究を進めています。今回の国際的な研究成果は、世界中の量子研究コミュニティに共有され、日本の研究者たちもこの新しい知見を取り入れることで、さらなるブレイクスルーを生み出す可能性を秘めています。
量子もつれの形成プロセスを理解することは、量子ビット(量子コンピューターの情報の最小単位)間の「もつれ」をより効率的かつ確実に生成・維持する方法を見つける上で不可欠です。この精密な理解が進めば、日本の量子コンピューター開発が、より信頼性の高い、実用的なシステムへと近づく一助となるでしょう。
量子もつれ研究の新たな一歩と未来への展望
ウィーン工科大学の画期的な研究は、「量子もつれ」が瞬時に起こるという長年の常識を覆し、それが非常に短いながらも測定可能な時間、具体的にはアト秒という単位で発生することを示しました。これは、単なる基礎物理学の発見に留まらず、次世代技術である量子コンピューティングの発展に不可欠な、より深い理解をもたらすものです。
この研究で明らかになった量子もつれの形成メカニズムは、未来の量子コンピューターがより安定し、正確に動作するための重要な手がかりとなります。私たちが知っている世界の常識が、ミクロな量子世界ではいとも簡単に覆されること。そして、その不思議な現象の解明が、私たちの未来の技術革新に直結しているという事実は、科学の面白さと奥深さを改めて教えてくれます。今後の量子物理学の進展、そしてそれによって加速する量子技術の発展に、引き続き注目していきましょう。
