火星に生命は存在するのか——。この長年の問いに、ついに答えが出るかもしれません。2030年代前半には、火星のサンプルを地球に持ち帰る「火星サンプルリターン計画」が予定されています。しかしその一方で、「約50年前にNASAはすでに火星で生命を発見し、誤って消滅させてしまったのではないか」という驚きの説が、科学者の間で議論を呼んでいます。
NASAのバイキング計画は、火星表面の画像を史上初めて地球へ送ったことで知られていますが、その裏では生命探査をめぐる大きな謎が生まれていました。本記事では、IFLScienceに掲載された記事「NASA's Viking Project May Have Found Life On Mars 50 Years Ago, Then Accidentally Killed It」をもとに、このミステリーの真相に迫ります。
50年前の謎:バイキング計画の生命探査
現在活躍する探査車キュリオシティなどが到着するずっと以前の1970年代、NASAは画期的な火星探査ミッション「バイキング計画」を実施しました。2機の着陸機が火星表面に降り立ち、人類が初めて目にする火星の鮮明な画像を送信したのです。
しかし、この計画の最も野心的な目的は、火星の土壌に生命の痕跡があるかを直接調べることでした。そのために行われた実験の一つが、放射性炭素で印を付けた栄養素を土壌に与えるというものです。もし土壌内に微生物が存在すれば、栄養素を代謝し、放射性炭素を含むガスを放出するはず、という仕組みでした。いわば、微生物に「食事」をさせて、その「息」を検出する試みです。
生命の兆候か、化学反応か?交錯する実験結果
バイキング着陸機が行った実験は、科学者たちを興奮させると同時に、深い謎に包む結果をもたらしました。
最初の実験では、仮説通り放射性炭素を含むガスが検出され、生命存在の可能性に大きな期待が寄せられました。さらに別の実験では、土壌から微量の塩素化有機物(塩素を含む有機化合物)が発見されました。これもまた、生命活動の副産物である可能性が考えられました。
しかし、喜びも束の間、実験は不可解な展開を見せます。栄養素を追加で注入して実験を繰り返しても、最初の時のような明確なガスの発生は確認できなかったのです。また、検出された塩素化有機物は、地球から持ち込まれた汚染物質ではないかという見方が強まりました。
この混乱した結果を説明するために浮上したのが、火星の土壌に存在する「過塩素酸塩」という物質の存在です。この強力な酸化剤が、生命とは無関係に栄養素を分解し、ガスを発生させたのではないか、という化学反応説です。この説は、なぜ最初の反応の後、ガスが検知されなくなったのかを説明する有力な仮説と見なされるようになりました。
新説:「生命を発見し、そして殺してしまった」
バイキング計画の実験結果をめぐる長年の議論に、一石を投じる革新的な視点を提唱したのが、ベルリン工科大学のダーク・シュルツ=マクッフ教授です。彼は「バイキング計画は生命を発見したものの、その実験手法によって意図せず殺してしまったのではないか」という大胆な仮説を立てました。
彼の説の一つは、実験で土壌に加えられた「水」が原因だった可能性を指摘します。地球でも、チリのアタカマ砂漠のような極度の乾燥地帯に住む微生物は、空気中のわずかな湿気を利用して生きています。そのような生物に突然大量の水を与えれば、細胞が破裂して死んでしまうかもしれません。火星の生命も、我々の常識とは異なる極めて繊細な存在で、実験で与えられた水が「洪水」となってしまった可能性を、教授は示唆しています。
「地球の砂漠に住む人間を見つけた宇宙人が、『水が必要だろう』と海の真ん中に放り込むようなものかもしれない」と、教授は分かりやすく例えています。
もう一つの興味深い仮説が、火星の生命が細胞内に「過酸化水素」を取り込んでいたというものです。過酸化水素は、火星の極寒環境で凍結を防ぎ、水分を保持するのに役立つ可能性があります。バイキングの土壌分析装置は、サンプルを分析前に加熱していました。もし細胞内に過酸化水素があれば、加熱によって生命は死滅し、同時に過酸化水素が周囲の有機物と反応して大量の二酸化炭素を発生させたかもしれません。これは、実際に観測されたガスの発生を説明できるのです。
バイキングの教訓と「火星サンプルリターン計画」への期待
シュルツ=マクッフ教授の説は、過去の探査結果に新たな光を当てると同時に、未来の生命探査に重要な教訓を与えてくれます。それは、「地球の常識」を安易に当てはめることの危険性です。生命は、私たちが想像もつかない形で極限環境に適応している可能性があります。
この教訓は、現在NASAと欧州宇宙機関(ESA)が共同で進める「火星サンプルリターン計画」に活かされるはずです。この計画は、2030年代前半に火星の岩石や土壌のサンプルを地球に持ち帰り、最新鋭の設備で分析するという壮大なプロジェクトです。当時の技術では見抜けなかった生命の痕跡が、ついに見つかるかもしれません。
日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)も、この国際的な探査計画に貢献しており、その技術力は高く評価されています。火星での生命発見は、生命の起源や宇宙における人類の立ち位置といった根源的な問いに答えを与え、私たちの未来を大きく変える可能性を秘めています。
半世紀越しの謎解きへ:火星探査が示す未来
約50年前に火星に着陸したバイキング計画は、明確な答えの代わりに、大きな「謎」を私たちに残しました。検出されたガスは生命の息吹だったのか、それとも単なる化学反応だったのか。この長年の議論は、生命の定義そのものを見直す必要性を私たちに問いかけているのかもしれません。
半世紀にわたるこの謎に、もうすぐ終止符が打たれるかもしれません。「火星サンプルリターン計画」によって地球に持ち帰られたサンプルを最新技術で分析すれば、バイキングが見過ごした生命の微かな痕跡が見つかる可能性があります。これは、過去の探査が残した問いに、現代科学が挑む壮大な続編と言えるでしょう。
この一連のエピソードは、科学が一直線に進むのではなく、時に立ち止まって過去を問い直すことで大きな発見が生まれることを教えてくれます。「生命には水が必要だ」という善意に基づく思い込みが、もし本当に火星の生命を消してしまったのだとしたら、それは未知なるものと向き合う際の謙虚さの重要性を示す、何よりの教訓です。
宇宙探査のニュースは、単なる技術の進歩報告ではありません。それは、私たち人類が「自分たちは何者か」という根源的な問いに挑む物語の一部なのです。約50年前の「もしも」が、もうすぐ現実の答えに変わるかもしれない——その歴史的瞬間を、私たちは共に目撃することになるでしょう。
