『デッド オア アライブ』や『NINJA GAIDEN』シリーズで知られるゲームクリエイター、板垣伴信氏が58歳で逝去しました。この訃報は「『デッド オア アライブ』開発者の板垣伴信氏、58歳で逝去」として海外でも報じられ、国内外に大きな衝撃を与えています。『鉄拳』シリーズを手がける原田勝弘氏をはじめ、多くの業界関係者から追悼の声が寄せられる中、「後悔はない」という故人の最後のメッセージが重く響きます。本記事では、板垣氏がゲーム史に残した功績と、その挑戦に満ちたクリエイター人生を振り返ります。
ゲーム史に名を刻んだ板垣伴信氏の功績
板垣伴信氏は、革新的なゲームデザインと情熱的な開発スタイルで数々のヒット作を生み出し、多くのプレイヤーを魅了しました。
『デッド オア アライブ』シリーズの誕生と革新
1996年、板垣氏は3D対戦格闘ゲーム『DEAD OR ALIVE』シリーズを生み出し、その名を世界に知らしめました。美しいキャラクターと、打撃・投げ・ホールドの三すくみの関係を取り入れた戦略的なバトルシステムが特徴です。特に、ステージの地形や障害物を活かしたハイスピードな攻防は、当時のゲームファンに衝撃を与え、格闘ゲームというジャンルに新風を吹き込みました。
『NINJA GAIDEN』シリーズの復活と再定義
板垣氏の功績は、新しいゲームの創出だけではありません。2004年には、かつて人気を博した『NINJA GAIDEN』シリーズを見事に復活させました。このリブート版は、美しいグラフィックと爽快なハイスピードアクション、そしてプレイヤーの腕を試すような高難易度で世界中のファンを魅了しました。何度も挑戦してクリアを目指す、いわゆる「死にゲー」の先駆けともいえる歯ごたえのあるゲーム性は、当時のアクションゲームに新たな基準を打ち立てました。
ゲーム開発にもたらした独自のアプローチ
板垣氏は、開発プロセスにおいても独自の哲学を持っていました。妥協を許さない姿勢で常に最高を目指し、プレイヤーに驚きと感動を与えることを信条としていたのです。その情熱と大胆なアイデアは、開発チームをまとめ上げ、革新的なゲームを生み出す原動力となりました。
「恐れを知らぬクリエイター」の軌跡:挑戦と葛藤
板垣伴信氏のクリエイターとしての人生は、輝かしい功績の裏で、数々の挑戦と葛藤に満ちたものでした。その「恐れを知らぬ」姿勢は、彼を常に前進させる原動力でしたが、同時に多くの困難も招きました。
テクモでのキャリア初期とTeam NINJAのリーダーへ
板垣氏は1992年にテクモへ入社し、スーパーファミコン向けソフト『テクモスーパーボウル』のグラフィック担当としてキャリアを始めました。その後、開発チーム「Team NINJA」のリーダーに就任し、『NINJA GAIDEN』の復活を大ヒットさせます。この成功により、板垣氏は2004年には執行役員にまで昇進しました。
トレードマークのサングラスと革ジャン姿で知られる一方で、その言動は型破りで、時に物議を醸すこともありました。業界のイベントに酔って現れたり、自らが手がけるゲームのキャラクターについて不適切な発言をしたりすることもあったと伝えられています。
訴訟という試練:未払いボーナスとセクハラ疑惑
しかし、そのキャリアは順風満帆ではありませんでした。2006年にはセクシャルハラスメントで訴えられましたが、翌2007年に東京地方裁判所で無罪が確定しています。その後、2008年にテクモを退社する際には、未払いボーナスなどを巡って会社を提訴。訴額は1億4800万円に上り、当時のゲーム業界で大きな注目を集めました。また、当時のテクモ社長による「不当で不誠実な発言」に対しても訴訟を起こすなど、自らの権利を強く主張する姿勢を貫きました。
新たな挑戦と逆境を乗り越える力
テクモ退社後も、板垣氏の挑戦は続きます。ゲーム開発会社「ヴァルハラ・ゲームスタジオ」を設立し、2015年にはWii U向けソフト『Devil's Third』を発売しました。その後、2017年に同社を離れ、2021年には新たに「Itagaki Games」を立ち上げてゲーム開発に復帰。しかし、同スタジオで開発中だった作品が世に出るかは、今となっては定かではありません。
訴訟や開発の難航など、数々の困難に見舞われながらも、彼は常に自身の信念を貫きました。2011年の海外メディアとのインタビューでは、「自信は内から湧き出るもの。過去の経験、自分に何ができるかを知っていること、そして未来に向けてそれを証明できるという確信。これらが基盤になる」と語っており、逆境にあっても自らの創造性を信じ続けた彼の姿勢がうかがえます。
「後悔はない」という生き様が遺したもの
板垣氏の突然の訃報に、ゲーム業界は大きな悲しみに包まれました。『鉄拳』シリーズの原田勝弘氏はSNSで、大学の先輩でありライバルでもあった板垣氏を「戦友」と呼び、早すぎる死を悼んでいます。
板垣氏は最後のメッセージで、自らの人生を「戦いの連続」と振り返りながらも、「後悔はない」と断言しました。同時に、ファンへ「新しい作品」を届けられなかった無念さも記しており、最後の瞬間までクリエイターとしての情熱を燃やし続けたことがうかがえます。
彼の人生は、必ずしも平坦な道のりではありませんでした。しかし、周囲との軋轢を恐れず、自らの信念を貫き通したからこそ、「後悔はない」という言葉が重く響くのです。彼が遺したものは革新的なゲームだけでなく、その妥協なき開発姿勢、いわゆる「板垣イズム」として、これからも多くのクリエイターに影響を与え続けるでしょう。
板垣氏の最高の作品は、ゲームそのものだけでなく、「板垣伴信」という人間の生き様そのものだったのかもしれません。彼の作品に込められた圧倒的な熱量に再び触れることが、私たちにできる最大のリスペクトと言えるでしょう。
