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SFが現実に?単一遺伝子でハエの行動が「転移」進化の常識が変わる

ハエのオスがメスを誘う求愛行動は、種によって全く異なります。ある種は歌うように羽を震わせ、またある種は食べ物を吐き戻してプレゼントします。今回、こうした複雑な行動が、たった一つの遺伝子を操作するだけで種の壁を越えて「転移」させられるという、SFのような研究成果が発表されました。この「単一遺伝子の操作で、ある種の行動が初めて別種に転移した」という発見は、生物の行動や進化の仕組みに関する私たちの理解を大きく変える可能性を秘めています。

歌うハエが「贈り物」をするように:遺伝子操作で行動を上書き

ハエの世界には、驚くほど個性豊かな求愛方法が存在します。遺伝学の研究でよく知られるキイロショウジョウバエのオスは、メスを魅了するために羽を細かく振動させ、まるで歌を奏でるような「求愛歌」を披露します。一方、同じショウジョウバエの仲間であるDrosophila subobscuraのオスは、一度食べたものを吐き戻し、「婚姻贈呈」としてメスにプレゼントするという、全く異なるアプローチをとります。

今回の研究で最も衝撃的なのは、この行動を遺伝子操作によって別の種に「転移」させた点です。研究チームが注目したのは、オスの求愛行動を制御する「FruitlessM (FruM)」という遺伝子でした。調査の結果、プレゼント行動をとるD. subobscuraでは、このFruM遺伝子が、脳内でインスリンを産生する「インスリン産生ニューロン」と呼ばれる神経細胞群で働き、求愛を司る神経回路とつながっていました。

そこで研究チームは、通常はプレゼントをしないキイロショウジョウバエの同じ神経細胞で、このFruM遺伝子を人工的に活性化させました。すると、普段は求愛歌をうたうはずのオスが、食べ物を吐き戻してプレゼントする行動を見せたのです。まるで、行動プログラムが「コピー&ペースト」されたかのようでした。

進化の新たなメカニズム:「遺伝的再配線」とは?

これまで生物の進化は、新しい機能を持つ細胞が生まれるといった、大規模な変化の積み重ねだと考えられがちでした。しかし、今回の研究は、それとは異なる進化の仕組みを示唆しています。

研究チームが提唱するのは、「遺伝的再配線」という、より繊細なメカニズムです。これは、新しい神経細胞を追加するのではなく、すでにある神経細胞同士の繋がり方や、遺伝子の働き方をわずかに変えることを指します。

今回の実験は、この小さな「配線の変更」だけで、生物の行動が劇的に変化することを示しました。生物の進化の過程では、既存の神経回路の繋がり方が変わるだけで行動の多様性が生まれ、最終的に新しい種が生まれる「種の分化」に繋がってきた可能性があります。この発見は、大きな体の変化だけでなく、既存の回路の「繋ぎ方」を微調整することが、進化においていかに重要かを示しています。

記者の視点

本能行動は、生物が生まれつき持つ、固定的で変更不可能なプログラムだと考えられがちです。しかし、今回の研究は、その常識を根底から覆すものでした。複雑な求愛の儀式が、たった一つの遺伝子のスイッチを切り替えるだけで、まるでソフトウェアを上書きするように別種に「移植」できてしまう。この事実は、生物の行動がいかに柔軟で、進化の過程で巧みに書き換えられてきたかを示唆しています。

進化とは、体の「ハードウェア」の変化だけでなく、行動を司る「ソフトウェア」の革新でもあります。今回のハエの研究は、そのダイナミックな一面を鮮やかに見せてくれたと言えるでしょう。

進化の鍵は「配線の変更」にあり

この「遺伝的再配線」というメカニズムは、ハエの世界だけに留まらない、より広い意味を持つかもしれません。鳥のさえずりや魚の求愛ダンスといった、他の動物たちの複雑な本能行動がどのようにして生まれてきたのか。その謎を解き明かす大きなヒントが、今回の発見には隠されています。

私たちの身近にいる小さなハエの求愛行動は、生命の進化という壮大な物語の新たな一面を見せてくれました。生物は、固定された設計図に従うだけでなく、既存の遺伝子ネットワークを柔軟に「アップデート」することで、多様な行動を生み出してきたのかもしれません。次にハエを見かけたときは、その小さな体の中で繰り広げられる、数千万年の進化が刻まれたドラマに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。