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生きた細胞と会話できる人工ニューロン、発電細菌の力で実現

脳とコンピュータをつなぐ――。SFの定番テーマですが、そこには大きな壁がありました。生体のニューロン(神経細胞)が使う電気信号はごく微弱なのに対し、電子回路はそれよりはるかに大きな電圧で動いていたのです。「生きた細胞と会話できる人工ニューロンを初めて開発」という研究成果が発表され、この壁を突破する技術が誕生しました。カギを握ったのは、なんと「電気を作る細菌」です。

電圧10分の1、消費電力100分の1の人工ニューロン

マサチューセッツ大学アマースト校の研究チームが開発した人工ニューロンは、約0.1ボルトの電気信号を発します。人間のニューロンが発火する電圧は70〜130ミリボルトですから、ほぼ同じ電圧帯で動作するということです。

これまでの人工ニューロンは0.5ボルト以上の電圧が必要でした。研究チームによれば「従来型は10倍の電圧と100倍の電力を使っていた」とのこと。電圧が大きすぎると生体細胞を傷つけてしまうため、生きた組織との接続は困難でした。今回の技術は、信号の大きさや応答のタイミング、エネルギー消費の面で生体ニューロンに近い特性を示しており、電子回路と生体が同じ「言語」で通信できるようになったのです。

発電細菌が生む「タンパク質の電線」

この低電圧動作を可能にしたのが、メモリスタと呼ばれる電子素子です。メモリスタは流れた電荷の履歴を記憶して抵抗値が変わる素子で、脳のシナプスに似た振る舞いをします。

今回の研究で独特なのは、メモリスタの制御に発電細菌のタンパク質ナノワイヤーを使っている点です。土壌に棲む細菌の一種が、細胞の外へ電子を受け渡すために生成する導電性の極細繊維を利用しています。このスイッチは、わずか60ミリボルト、1.7ナノアンペアという超低電圧・超低電流で作動し、一度発火した後に自動的にリセットされます。ロックしたままにならず、生体ニューロンのように繰り返し「発火」と「休止」を行えるのが重要なポイントです。

ドーパミンにも反応、化学物質で動作が変わる

この人工ニューロンは電気信号だけでなく、化学物質にも応答します。ナトリウム濃度が上がるとリセットのサイクルが速くなり、発火頻度が増加しました。さらに脳内の神経伝達物質であるドーパミンを与えると、グラフェンセンサーを介して応答を示しました。

実際の脳では、電気パルスだけでなくドーパミンやセロトニンなどの化学物質が情報の流れを調整しています。つまりこの人工ニューロンは、生体の情報処理の仕組みをより忠実に再現できているのです。

心筋細胞との連携を実証

研究チームは、グラフェンメッシュの上で培養した心筋細胞にこの人工ニューロンを接続する実験も行いました。通常の拍動リズムでは人工ニューロンは反応を示しませんでしたが、薬剤で拍動が加速すると、それに反応して電気スパイクを発生させました。生きた組織の変化をリアルタイムで検知し、応答する能力が実証されたのです。

記者の視点:「電子と生体の翻訳機」が開く未来

現在のウェアラブル医療センサーは、生体の微弱な信号を増幅するステップが必要で、電力消費と装置の複雑さを押し上げています。今回の人工ニューロンを使えば増幅が不要になり、センサーの消費電力を大幅に削減できる可能性があります。しかもこの素子は標準的なシリコン製造プロセスとの親和性が高く、既存の半導体工場での量産も視野に入ります。

日本でもTDKがニューロモルフィックデバイスの研究を進めるなど、脳を模した省エネコンピューティングへの関心は高まっています。AIの電力消費が社会問題になる中、「脳のように考える回路」の実用化は日本の半導体・医療産業にとっても重要なテーマでしょう。

脳とシリコンが「同じ言葉」を話す時代へ

ただし、実用化にはまだ課題があります。今回の実験で使われたのは心筋細胞であり、本物のニューロンとの長期的な接続はこれからの検証課題です。臨床用のインプラントや脳インターフェースが実現するまでには、安定性や安全性の評価が欠かせません。

それでも、電子回路が生体細胞と同じ電圧・同じ化学反応で通信できるようになったことは、大きな一歩です。スパイクの形だけを真似る従来の手法と異なり、動作原理そのものを生体に合わせたことで、より自然な接続への道が開けました。研究成果は学術誌『Nature Communications』に掲載されました。