ボールを壁に投げると、壁もボールを同じ力で押し返す。ニュートンが300年以上前に発見したこの「作用反作用の法則」は、物理学の根幹をなす原則です。ところが、スピーカーと発泡スチロールのビーズという身近な材料だけで、この法則に反する現象が観測されました。「この浮遊する時間結晶がニュートンの運動の第三法則を破る」とScienceDailyが報じたニューヨーク大学の研究は、物理学の「常識」に新たな視点をもたらしています。
「時間結晶」とは何か
結晶と聞くと、水晶やダイヤモンドのように原子が規則正しく並んだ固体を思い浮かべるでしょう。通常の結晶では、同じ構造が空間の中で繰り返されています。では、同じパターンが「時間の中で」繰り返される物質があったらどうでしょう。それが時間結晶です。
この概念は2012年、ノーベル物理学賞受賞者のフランク・ウィルチェックによって提唱されました。物質の状態が一定の時間間隔で周期的に変化し続ける――あたかも自発的に一定のリズムを刻み続けるような状態です。2017年にハーバード大学とメリーランド大学のチームが量子系で初めて実現しましたが、それには極低温環境や高度な装置が必要でした。
今回の発見が画期的なのは、量子の世界ではなく日常的なスケールで、しかも驚くほどシンプルな装置で時間結晶を作り出した点にあります。
スピーカーと発泡スチロールの「魔法」
ニューヨーク大学のデビッド・グリアー教授(ソフトマター研究センター所長)らの研究チームは、直径1〜2mmの発泡スチロールのビーズとスピーカーを使って実験を行いました。スピーカーから一定の音波を発生させると、音波が作る「音の壁」の上にビーズが浮かび上がります。これは音響浮揚と呼ばれる技術で、音波の圧力で物体を空中に保持する仕組みです。
装置全体の大きさは約30cmで、手に持てるほどコンパクト。肉眼でビーズの動きを観察できます。グリアー教授は「私たちのシステムが素晴らしいのは、信じられないほどシンプルなことです」と語っています。
ここからが核心です。大きさがわずかに異なる2つのビーズを同時に浮かべると、両者は互いに音波を散乱させながら相互作用を始めます。大きなビーズはより多くの音を散乱させるため、小さなビーズに及ぼす力は、小さなビーズが大きなビーズに及ぼす力よりも大きくなります。
なぜニュートンの法則に「反する」のか
ニュートンの運動の第三法則、通称「作用反作用の法則」は、2つの物体が互いに力を及ぼし合うとき、その力は常に大きさが等しく方向が反対になると述べています。AがBを押せば、BもAを同じ力で押し返す。これは古典力学の大原則です。
しかし今回の実験では、ビーズ間に非相反的相互作用が生じていました。大きなビーズが小さなビーズに与える力と、小さなビーズが大きなビーズに返す力が等しくないのです。研究チームの大学院生ミア・モレルは「音波は粒子に力を及ぼします。ちょうど池の波が浮かんでいる葉に力を及ぼすようなものです」と説明しています。
この不均等な力のおかげで、ビーズは自発的に揺れ始め、安定した周期的なリズムに落ち着きます。誰も揺らしていないのに、何時間も一定のリズムで振動し続ける。これこそが時間結晶の特徴であり、同時にニュートンの第三法則が成り立たない状況を生み出しているのです。
正確に言えば、ニュートンの法則そのものが「間違っている」わけではありません。ビーズ間に介在する音波の場まで含めれば、系全体では運動量は保存されています。しかし、ビーズ同士の直接的な相互作用だけを見ると、作用と反作用が等しくないという点で、日常の直感を覆す現象です。
記者の視点:シンプルさが開く可能性
これまでの時間結晶の研究は、量子コンピュータや極低温の実験装置など、高度な技術を必要としていました。今回の発見は、梱包材に使うような発泡スチロールとスピーカーだけで、時間結晶に相当する現象を古典的なスケールで実現しています。この「シンプルさ」こそが最大の意義でしょう。
研究チームは、この非相反的な相互作用が生物の体内にも存在する可能性を指摘しています。たとえば体内時計を司る概日リズムや、食物の消化過程における生化学反応にも、似たメカニズムが働いているかもしれません。もしそうであれば、私たちの体の中にも「時間結晶」に似た仕組みが隠れていることになります。
また、将来的には量子コンピューティングや新しいデータストレージの概念につながる可能性もあるとみられています。時間結晶の安定した周期的振動は、情報を時間方向に「書き込む」新たな方法を提供する可能性があります。
身近な材料が物理学の最前線を切り開く
研究成果は学術誌Physical Review Lettersに掲載されました。ノーベル賞受賞者が14年前に予言した現象が、手のひらに乗る装置で目に見える形で実現された意義は大きいと言えます。最先端の物理学は必ずしも巨大な加速器や極低温の実験室だけで進むわけではない。スピーカーと発泡スチロールのような身近な材料でも、物質の新しい振る舞いを探れることが示されました。
