もし突然、声が出なくなったら。しかもそれが地上から約400km離れた宇宙空間だったとしたら――。今年1月、国際宇宙ステーション(ISS)で実際にそんな事態が起きました。ScienceAlertがAP通信の報道をもとに伝えた「NASAの宇宙飛行士が宇宙で突然話せなくなった、医師にも原因不明」で、当事者である飛行士本人が初めて詳細を語っています。なぜ声が消えたのか、そしてNASA史上初となった「医療上の理由による計画帰還」とは何だったのか。日本の油井亀美也飛行士も同じミッションに搭乗していたこの出来事の全貌を、わかりやすくお伝えします。
夕食中に「稲妻のように」襲った異変
事件が起きたのは2026年1月7日の夜。NASAのベテラン宇宙飛行士マイク・フィンク氏(59歳)は、翌日に予定されていた船外活動に備え、ISSの中で夕食をとっていました。そのとき、まったく前触れなく言葉を発することができなくなったのです。
フィンク氏は「非常に速い稲妻のようだった」と表現しています。痛みはなく、食べ物が詰まったわけでもない。ただ突然、声が出なくなったといいます。異変に気づいた他の5人の飛行士が即座に駆けつけ、「数秒で全員が集まった」とのこと。地上のフライトサージャン(航空医官)にもすぐ連絡が入りました。
症状はおよそ20分後に消失。何事もなかったかのように回復しましたが、この短い出来事がISS運用史上に残る大きな判断につながりました。
ISS史上初の「計画的医療帰還」
NASAはこの事態を重く見て、翌日に予定されていた船外活動を即座に中止しました。この船外活動はフィンク氏にとって10回目、同僚のジーナ・カードマン飛行士にとっては初となるはずでした。
さらにNASAは、より高度な医療機器による検査が必要と判断。フィンク氏を含むCrew-11の4名――フィンク氏、カードマン飛行士、JAXAの油井亀美也飛行士、ロスコスモスのオレグ・プラトノフ飛行士――は予定より1ヶ月以上早く、1月15日にSpaceXクルードラゴンで地球に帰還しました。
これはISSの歴史において初めての計画的な医療帰還です。NASAは「緊急事態ではなく、より詳細な検査のために綿密に調整された帰還」と説明しており、着水後はサンディエゴ近郊の病院に直接搬送されました。
原因不明のまま続く調査
フィンク氏は3月28日、テキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙センターからAP通信に対し、帰還後の経過を語りました。地上での精密検査の結果、心臓発作と窒息は否定されましたが、それ以外のあらゆる可能性がまだ調査中とのことです。
フィンク氏は退役空軍大佐で、過去4回の宇宙飛行で通算549日間を無重力環境で過ごしてきました。本人は長期間の無重力が何らかの影響を及ぼした可能性を示唆しています。NASAも過去の飛行士の医療記録を洗い直し、同様の症状が発生していなかったかを確認しているところです。
フィンク氏はまた、NASAが飛行士の医療プライバシーを厳格に守っていることを強調しました。これは飛行士が健康上の問題を安心して報告できるようにするための重要な原則だといいます。
記者の視点:宇宙医学の「未知」が突きつける課題
この出来事が示しているのは、人類が宇宙に進出する中で「まだわかっていないことの多さ」です。ISSでは骨密度の低下や視力の変化など、無重力が人体に及ぼす影響が長年研究されてきました。しかし、突然の発声不能という症状は、少なくとも公表情報では前例が確認されておらず、現時点では原因が特定されていません。
日本にとって注目すべきは、Crew-11に油井亀美也飛行士が搭乗していたことです。油井飛行士自身に健康上の問題は報告されていませんが、同じクルーとして予定外の帰還を経験したことになります。今後の月面探査や火星探査を見据える中で、宇宙での医療体制の整備は日本を含む各国共通の課題といえるでしょう。
宇宙探査の未来と「想定外」への備え
フィンク氏は一連の経験にもかかわらず、再び宇宙へ行く意欲を示しています。NASAの迅速な対応と、クルー全員の連携が最悪の事態を防いだことは、宇宙開発の安全文化が機能している証拠ともいえます。
今回の件は、今後のアルテミス計画による月面長期滞在や、さらに遠い火星探査において、地球からすぐに帰還できない環境での医療対応がいかに重要かを改めて浮き彫りにしました。「想定外」に備える力こそが、人類を次の宇宙へと送り出す鍵になるのかもしれません。
