金は錆びません。多くの酸にも溶けにくく、何千年前の金貨が輝きを保ったまま出土することもあります。「化学的に退屈な金属」とまで言われるほど、金は他の物質と反応しないことで知られています。ところが「極限環境下で金が水素と反応し、新たな化合物を生成した」とEarth.comが報じた研究では、極限的な圧力と温度のもとで金が水素と結びつき、これまで存在が確認されていなかった水素化金という化合物が誕生しました。しかもこの発見は、まったく別の実験の最中に偶然起きたものです。
ダイヤモンドを作る実験で起きた「想定外」
この発見の舞台は、ドイツにある世界最大のX線レーザー施設欧州X線自由電子レーザー(European XFEL)です。米国SLAC国立加速器研究所の研究チームは、炭化水素がダイヤモンドに変わる過程を調べるための実験を行っていました。
実験の仕組みはこうです。まず「ダイヤモンドアンビルセル」と呼ばれる装置で、2つのダイヤモンドの先端に炭化水素の試料を挟み、地球内部のマントルに相当するような高圧で押しつぶします。その状態でX線パルスを照射し、金箔に吸収させることで試料を約1900℃まで加熱します。試料に埋め込まれた薄い金箔は、X線を吸収して熱を発生させるための「ヒーター」として使われていました。
ところが、X線の散乱パターンを分析したところ、予想外のことが起きていました。ヒーター役にすぎなかったはずの金の結晶構造が変化し、水素原子が金の格子の中に入り込んでいたのです。研究チームのリーダーは「金は通常、化学的にまったく反応しない。だからこそ実験で使っていたのに」と驚きを語っています。
固体なのに液体?「超イオン状態」の不思議
生成された水素化金(化学式:Au₂Hx)は、単に金と水素がくっついただけではありません。その内部では、物質の常識を覆す奇妙な現象が起きていました。
金の原子は規則正しい結晶格子を保ったまま動かないのに、水素原子はその格子の隙間を液体のように自由に動き回っていたのです。この状態は超イオン状態と呼ばれます。たとえるなら、ジャングルジムの骨組みは固定されているのに、その中を子どもたちが走り回っているようなイメージです。
この超イオン状態では、水素化金は電気を通す性質も示していました。通常の金も電気を通しますが、水素が加わることで結晶構造自体が変わり、通常の面心立方格子から六方最密充填構造へと転換していたのです。
興味深いことに、圧力と温度を下げると水素は金の格子から抜け出し、もとの純粋な金に戻ります。つまり水素化金は、約40万気圧・約1900℃という極限環境でのみ存在できる「はかない化合物」なのです。
木星の内部を実験室で再現する
この発見が科学者たちを興奮させている理由は、金の化学だけにとどまりません。約40万気圧という圧力は、木星や土星といった巨大ガス惑星の内部で想定される高圧環境に近いものです。これらの惑星の奥深くでは、水素が金属のように振る舞い、超イオン状態をとっていると考えられています。
水素化金の研究は、こうした惑星内部の物質がどのように振る舞うかを実験室で検証する新たな手段を提供します。さらに、核融合研究においても、高密度の水素がどのように振る舞うかを理解することは重要な課題です。
研究チームは、今回開発したシミュレーションの枠組みを使えば、水素が極限的な圧力で他の元素に与える影響も予測できるとしています。金以外の「反応しないはずの物質」にも、まだ知られていない化学が隠されている可能性があるのです。
記者の視点:常識が崩れるとき、科学は前進する
今回の発見で特に印象的なのは、それが「偶然」だったという点です。研究チームはダイヤモンドの生成過程を調べていたのであり、金の化学を研究していたわけではありません。金箔はあくまで道具であり、主役ではなかったのです。
科学では、このように本来の目的とは別のところから重要な発見が生まれることがあります。ペニシリンの発見もX線の発見も、予期しない偶然がきっかけでした。しかし偶然の発見には、それに気づく準備された目が必要です。X線の散乱パターンに現れた異常を見逃さず、その意味を正しく解釈できたからこそ、この発見は実現しました。
「金は反応しない」という教科書的な常識は、地球の表面という穏やかな環境では正しいままです。しかし宇宙には、地球とはまったく異なる極限環境が広がっています。そこでは私たちの常識が通用しない化学が、日常的に起きているのかもしれません。
極限が教える、物質の「もう一つの顔」
この研究は、2025年8月に化学分野の国際学術誌Angewandte Chemie International Editionに掲載されました。SLAC国立加速器研究所、欧州XFEL、エディンバラ大学、カーネギー研究所など、国際的な研究チームによる成果です。
私たちが「よく知っている」と思っている物質にも、極限環境では未知の姿が隠されています。金が水素と手を結ぶという予想外の発見は、宇宙の奥深くで何が起きているかを理解するための新しい窓を開きました。次にどんな「常識外れ」が見つかるのか、期待が膨らみます。
