巨大な科学プロジェクトが「予定より早く」「予算内で」完成する。そんなニュースを聞いたことがあるでしょうか。NASAの大型計画といえば、予算超過と遅延がつきものというイメージがあります。実際、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は当初の見積もりから大幅に膨らみ、総額は約100億ドル規模に達し、打ち上げまでに14年もの遅延を経験しました。ところが今回、「予算内で8か月前倒し、ローマン望遠鏡が打ち上げ準備完了」という異例のニュースが飛び込んできました。NASAの次世代赤外線宇宙望遠鏡ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡が、2026年9月の打ち上げに向けて完成したのです。
スパイ衛星から宇宙望遠鏡へ、異色の誕生秘話
ローマン望遠鏡の歴史は、意外な場所から始まりました。2012年、米国の偵察衛星を管轄する国家偵察局(NRO)が、余剰となったスパイ衛星のハードウェア2基をNASAに提供したのです。
当時NASAは、広い視野で赤外線観測を行う「広視野赤外線サーベイ望遠鏡(WFIRST)」を計画していました。設計では口径1.5メートルの望遠鏡を想定していましたが、NROから譲り受けたハードウェアはその約2倍の口径約2.4メートル。ハッブル宇宙望遠鏡と同じサイズです。設計の大幅な見直しが必要になりましたが、より高解像度の観測が可能になり、機器を搭載するスペースも広がりました。
この望遠鏡は後に、ハッブル宇宙望遠鏡の実現に貢献した天文学者ナンシー・グレース・ローマンにちなんで改名されました。総費用は43億ドル(約6,860億円)。NASA長官は、機体が予定より8か月早く予算内で完成し、打ち上げに向けた準備が整ったと発表。この成功を今後の大型計画に生かしたいと語っています。
ハッブルの100倍広い目で宇宙を走査する
ローマン望遠鏡が搭載する主要な観測機器は2つです。
1つ目は広視野観測装置(WFI)。18個の検出器がそれぞれ4096×4096ピクセルの画像を捉え、合計で約3億ピクセルの巨大な画像を生成します。その視野はハッブルの約100倍の広さ。NASAの天文学者によれば、この画像を4Kディスプレイで1ピクセルずつ表示しようとすると、米国ヨセミテ国立公園のエル・キャピタン(高さ約900メートルの岩壁)の表面を覆い尽くすほどのテレビが必要になるといいます。毎日1.4テラバイトものデータが地球に送られてきます。
2つ目はコロナグラフ。恒星の強烈な光を遮り、その周囲を回る暗い系外惑星を直接撮影する装置です。ローマン望遠鏡のコロナグラフは、光の遮断を段階的に調整できる「能動型」としては宇宙で初めて使われるものです。将来NASAが計画している居住可能世界観測所(HWO)では、この100倍の性能が求められるため、ローマン望遠鏡はその技術実証の役割も担います。
暗黒エネルギーの謎と数万個の系外惑星
ローマン望遠鏡が狙う科学的ターゲットの1つが、バリオン音響振動と呼ばれる現象です。宇宙誕生直後、物質が極めて高密度だった時代に、音波が物質の分布に周期的なパターンを刻みました。そのパターンは宇宙の膨張とともに凍結され、現在の銀河の分布に反映されています。これを大規模に観測することで、宇宙の約95%を占めるとされる暗黒物質と暗黒エネルギーの性質に迫れるのです。
もう1つの重要なミッションが、重力マイクロレンズ効果を使った系外惑星探しです。惑星の重力が背後の星の光をわずかに増幅させる現象を捉えるもので、わずか数時間しか続かないこの現象を逃さないよう、同じ領域を15分間隔で繰り返し観測します。この調査だけで数万個の惑星が見つかると予想されており、恒星系から飛び出した「はぐれ惑星」の発見も期待されています。
記者の視点:「予定通りに終わる」NASAの転機
ローマン望遠鏡の最大の驚きは、科学的成果が出る前にすでに訪れています。それは「大型宇宙計画が予定通りに完成した」という事実そのものです。ウェッブ望遠鏡は当初16億ドルの見積もりが最終的に100億ドルに膨れ上がりました。その経験を踏まえ、ローマン望遠鏡のチームが予算管理と工程管理でどのような工夫をしたのかは、今後の宇宙科学にとって技術面と同等に重要な教訓です。
打ち上げ後は90日間の試運転を経て本格観測に入りますが、最終軌道に到達する前の段階から科学観測を開始できる可能性もあるといいます。燃料は保守的な見積もりでも10年分搭載されており、大きな機器故障がなければさらに長期の運用が見込めます。ウェッブ望遠鏡とともにL2ラグランジュ点(地球から約150万km)を周回しながら、2つの望遠鏡が異なる強みで宇宙の謎に挑む時代が、まもなく始まります。
「予測できない発見」が最も楽しみな理由
NASAの天文学者は「ローマンで最も興味深い科学は、私たちが予測できなかったものになるだろう」と語っています。ハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げ前には想像もされなかった宇宙の加速膨張を発見したように、ローマン望遠鏡もまた、現在の科学では思いもよらない発見をもたらすかもしれません。スパイ衛星のハードウェアから生まれた望遠鏡が、宇宙最大の謎を解き明かす。その舞台が動き出すのは、2026年9月です。
