ChatGPTを作った会社を「非営利の理念を裏切った」と訴えている人物が、実はその会社の技術を自社AIの訓練に使っていた——そんな皮肉な事実が法廷で明らかになりました。「イーロン・マスク、xAIがOpenAIモデルでGrokを訓練したと証言」と報じられたこの証言は、AI業界で公然の秘密とされてきた「蒸留」という手法の実態を、業界の主要人物自らが認めた異例の証言です。
法廷で飛び出した「部分的にイエス」
カリフォルニア州オークランドの連邦裁判所で進行中のマスク氏がOpenAIを訴えている裁判。4月30日の証人尋問で、OpenAI側の弁護士がマスク氏に直球の質問を投げかけました。「xAIはOpenAIのモデルを蒸留してGrokを訓練しましたか?」
マスク氏はまず「それはAI企業全般に共通する慣行だ」と述べ、改めて「イエスということですか?」と問われると、「部分的にそうだ」と認めました。
この裁判は、マスク氏がOpenAIとサム・アルトマンCEOらを相手取り、約20兆4,000億円(1,300億ドル)の損害賠償を求めて提起したものです。マスク氏は、自らが約60億円(3,800万ドル)を寄付して設立を支援したOpenAIが、非営利団体としての使命を放棄し、企業価値約125兆円(8,000億ドル)の営利企業に変貌したと主張しています。
「蒸留」とは何か、なぜ問題なのか
蒸留とは、すでに高性能なAIモデルの出力を利用して、別の新しいモデルを効率的に訓練する手法です。たとえば、ChatGPTに大量の質問を投げかけ、その回答パターンを学習データとして使うことで、莫大な計算資源をかけずに、高性能なAIに近い能力を持つモデルを短期間で構築できます。
この手法が問題視される理由は明確です。OpenAIやAnthropicといった大手AI企業は、数千億円規模の投資でGPU(AI向け半導体)を確保し、膨大なデータで独自モデルを訓練しています。蒸留は、その投資の成果に「ただ乗り」していると受け止められやすい手法です。
これまで蒸留が話題になるのは、主に中国のAI企業が米国製モデルを蒸留して低コストの代替品を作るケースでした。OpenAI、Anthropic、Googleは「フロンティア・モデル・フォーラム」を通じて、中国からの蒸留を防ぐ取り組みを進めています。しかし今回、米国のAI企業同士でも同じことが行われていたことが裁判で確認されたのです。
マスク氏が語ったAI業界の「序列」
証言ではもうひとつ注目すべき発言がありました。マスク氏は2025年夏、「xAIはまもなくGoogle以外のどの企業も超える」と豪語していましたが、法廷ではトーンが一変。世界のAI企業を順位づけし、1位はAnthropic、2位はOpenAI、3位はGoogle、4位は中国のオープンソースモデルと述べました。自社のxAIについては「従業員数百人のはるかに小さな企業」と控えめに位置づけています。
2023年に設立されたxAIが、2015年設立のOpenAIに追いつくために蒸留を使ったこと自体は、業界関係者にとって驚きではありません。しかし、それを訴訟の当事者が法廷で認めたことの意味は大きいです。
記者の視点:AI業界全体に突きつけられた「鏡」
マスク氏の証言が突きつけるのは、AI業界の根本的な矛盾です。大手AI企業は著作権で保護されたウェブ上のコンテンツを大量に取り込んでモデルを訓練してきました。その行為自体がクリエイターや出版社から「ただ乗り」と批判されているのに、自分たちのモデルが蒸留されると「知的財産の侵害だ」と反発する。この二重基準は、今後ますます厳しい目で見られることになるでしょう。
日本にとっても他人事ではありません。国内のAIスタートアップや企業がモデル開発を行う際、海外の大手モデルをどこまで参考にできるのかという線引きは、法的にもビジネス的にも重要な問題です。蒸留が明確に違法とされているわけではなく、各社の利用規約違反にとどまる現状では、ルール整備が追いついていないと言わざるを得ません。
裁判の行方がAIの未来を左右する
この裁判は5月末まで続く見通しです。争点は「OpenAIの営利化は創設時の約束に違反するか」ですが、蒸留をめぐる証言は、AI企業間の競争のあり方そのものを問い直すきっかけになりました。他人の技術を訴えながら、自らもその恩恵を受けていたというマスク氏の矛盾は、AI開発における知的財産ルールの不在を浮き彫りにしています。急速に進化するAI技術に法制度がどう追いつくのか。この裁判の行方は、世界のAI企業の競争戦略にも影響を及ぼしそうです。
