新型コロナウイルスのワクチンから、がんの治療薬、環境汚染物質の分解まで。もし必要なタンパク質を自由自在に「設計」できるとしたら、医療や環境問題はどれだけ変わるでしょうか。2024年ノーベル化学賞を受賞したデイビッド・ベイカー教授率いる22人の研究チームが、「デノボタンパク質設計の過去・現在・未来」と題するレビュー論文をNatureに発表しました。自然界に存在しないタンパク質をゼロから作り出す「デノボ設計」がAIの力でどこまで進み、何が次の壁なのかを包括的に整理した、この分野の現在地を示す重要な論文です。
「何を設計するか」が問われる時代に
タンパク質は20種類のアミノ酸が数珠つなぎになった分子で、その並び順によって立体構造が決まり、機能が生まれます。自然界のタンパク質は何十億年もの進化で磨かれてきましたが、人類が望む機能に最適化されているとは限りません。そこで登場したのがデノボタンパク質設計です。「デノボ」はラテン語で「最初から」を意味し、自然界の設計図を借りず、コンピュータで一からタンパク質を設計する技術を指します。
レビュー論文によると、この分野ではパラダイムシフトが起きています。かつては「ランダムに変異を入れて、うまく機能するものを探す」というやり方が主流でした。それが今では、AIを使って「意図的に設計する」方法に切り替わりつつあります。
特に画期的だったのが、ベイカー研究室が2023年に発表したRFdiffusionです。画像生成AIで使われる拡散モデルの技術をタンパク質設計に応用したもので、望みの機能を指定すると、それを実現するタンパク質の立体構造を自動生成します。さらにProteinMPNNというAIが、その構造を実際に折りたたむアミノ酸配列を割り当てます。この2つのツールはオープンソースで公開されており、世界中の研究者が自由に使えるようになっています。
論文は、新しいタンパク質構造、タンパク質の集合体、そして特定の標的に結合する「タンパク質バインダー」の設計という長年の課題が「解決に近づいている」と述べています。もはや問題は「どう設計するか」ではなく、「何を設計するか」に移ったのです。
薬のように働くタンパク質を一から作る
デノボ設計が最も期待されている応用分野の一つが創薬です。従来の抗体医薬は、体内の免疫システムが作る抗体をベースにしていました。しかしデノボ設計なら、自然界には存在しない完全に新しいタンパク質を薬として作り出せます。
論文では、標的タンパク質の表面にぴたりとはまるバインダーの設計が大きく進展したと報告されています。RFdiffusionを使えば、ウイルスの表面タンパク質や、がん細胞に特有のマーカーに結合する分子を計算だけで生み出すことが可能になりました。2025年12月には改良版のRFdiffusion 2もNatureに発表され、初代モデルでは難しかった複雑な結合面の設計精度がさらに向上しています。
また、低分子化合物に結合するタンパク質や、化学反応を促進する人工酵素の設計にも進展が見られます。酵素は生体内の化学工場のような存在で、特定の反応を劇的に加速します。自然界の酵素を改変するのではなく、ゼロから設計できれば、プラスチック分解や二酸化炭素固定など、自然界には存在しない反応を効率よく触媒する酵素も作れるかもしれません。
次の壁は「動くタンパク質」の設計
一方で、論文はまだ解決されていない課題も率直に指摘しています。最大の壁は、スイッチやナノマシンのように「動く」タンパク質の設計です。
現在のAI設計ツールは、固定された構造を作ることには優れています。しかし生体内のタンパク質は、信号を受け取ると形を変え、別の分子と結合し、化学反応を起こすという一連の動作を連携させています。こうした「結合・構造変化・触媒作用」を統合した多機能タンパク質の設計は、まだ発展途上です。
また、高いエネルギー障壁を持つ化学反応の触媒設計も課題として挙げられています。簡単な反応なら人工酵素で加速できるようになりましたが、より複雑な反応には自然界の酵素にも匹敵する精密な触媒機構が必要で、現在の設計手法ではまだ到達できていません。
記者の視点:「設計の民主化」が変える研究の景色
このレビュー論文で最も注目すべきは、「オープンソース」という言葉が繰り返し強調されている点です。RFdiffusionやProteinMPNNといった最先端ツールが無償公開されたことで、巨大な計算資源を持つ一部の研究機関だけでなく、世界中の生化学者や分子生物学者がタンパク質設計に参入できるようになりました。
日本にとっても、これは大きなチャンスです。日本はタンパク質の構造解析や酵素工学で長い歴史を持ち、SPring-8のような世界最高水準の放射光施設も擁しています。設計ツールの民主化により、こうした実験基盤の強みをAI設計と組み合わせる道が開けます。
進化が作れなかったものを、人間が設計する時代
論文は今後5〜10年の展望として、自然進化が生み出した機能をはるかに超える「精巧なタンパク質ナノマシンや材料」の登場を予測しています。医療、テクノロジー、持続可能性という幅広い分野での応用が見込まれています。
38億年の進化が生み出せなかったタンパク質を、人間がコンピュータで設計する。ノーベル賞チームが描くこの未来は、もはやSFではなく、すでに始まっている現実です。次にどんなタンパク質が「発明」されるのか、目が離せません。
