プログラマーなら誰もが知るテキストエディタ「Notepad++」。20年以上Windowsの定番として親しまれてきたこのソフトに、突然「Mac版」が登場したというニュースが4月末にテック系メディアを駆け巡りました。ところが、「Notepad++ for Macのリリースを本家の作者が否認」とArs Technicaが報じたとおり、事態は思わぬ方向に展開しています。
「公式リリース」と誤解された非公式ポート
Notepad++は2003年にドン・ホー氏が開発して以来、一貫してWindows専用のアプリケーションでした。ところが4月末、「Notepad++ for Mac」と銘打ったmacOS版が公開されると、複数のテックメディアが、公式版と受け取られかねない形で取り上げました。窓の杜もこのニュースを取り上げています。
しかし、これはホー氏や本家チームとは無関係の「独立した非公式ポート」でした。開発者のレトフ氏が、本家のNotepad++の名前とロゴをそのまま使用してリリースしたため、多くのユーザーやメディアが公式版と誤認してしまったのです。
ホー氏はGitHub上で強く抗議し、「はっきりさせておきたい。Notepad++がmacOS版をリリースしたことは一度もない。そう見せかけるのは、Notepad++の名前に便乗しているにすぎない」と述べました。
AIが生み出した「それっぽい」アプリの落とし穴
この騒動をさらに興味深くしているのが、このMac版がAIコーディングツールで開発されたという事実です。レトフ氏はArs Technicaの取材に対し、AnthropicのClaude CLIやOpenAI系のCodexプラグインを使って開発したと説明しています。加えて、GitHubのコミットにはClaude Codeが共同著者として記載されていました。
一見すると、このMac版はよくできていました。macOS 11以降のIntel・Apple Silicon両対応で、ネイティブのCocoaフレームワークを使った軽量なアプリ。しかしArs Technicaの記者は、開発者のGitHubを調べた結果、コミットが2026年3〜4月に集中していることに気づき、警戒感を持ったといいます。
ここに「バイブコーディング」の課題が浮き彫りになります。AIツールを使えば短期間で見た目の整ったアプリを作ることは可能ですが、長期的なメンテナンスやセキュリティの保証は別問題です。ホー氏も「コードとバイナリを検証する時間がない」と述べ、非公式ポートによるマルウェアリスクへの懸念を示しています。
商標とブランドをめぐる攻防
ホー氏とレトフ氏の間では、GitHub上で数日間にわたるやり取りが交わされました。ホー氏が名前とロゴの使用停止を求めたのに対し、レトフ氏は「あなたのブランドをMacにも広げるつもりだった」と主張。さらに「変更に2週間ほしい」と猶予を求めましたが、ホー氏はこれを拒否。CDN事業者であるCloudflareにも商標侵害を報告しました。
最終的にレトフ氏はアプリを「NextPad++」に改名し、アイコンもNotepad++のトカゲからカエルに変更する対応を進めています。「NextPad++」という名称は、スティーブ・ジョブズがApple退社後に設立し、その技術が後のmacOSの基盤につながったNeXT Computerへのオマージュだそうです。ただし、v1.0.5の時点ではまだNotepad++のブランドが残っており、プロジェクトのURLも変更されていません。
記者の視点:AIが作ったものの「信頼」は誰が担保するのか
今回の騒動は、単なる商標トラブルにとどまりません。AIコーディングツールの普及により、「ソフトウェアを作ること」のハードルは劇的に下がりました。しかし、作ったソフトウェアの品質や安全性、そしてブランドの取り扱いに対する責任は、依然として人間が負わなければなりません。
AIで短期間に開発されたアプリが、20年以上の実績を持つプロジェクトの名前を冠して配布される。ユーザーはそれを公式版だと信じてインストールする。この構図は、バイブコーディングの時代にますます繰り返される可能性があります。
開発の民主化と信頼のバランス
AIコーディングツールは間違いなく開発の可能性を広げています。しかし、コードが書けることと、信頼されるソフトウェアを届けることは別物です。今回のNotepad++騒動は、AIが「作る力」を与えてくれても、「信頼」は一朝一夕には築けないことを示す象徴的な出来事といえるでしょう。オープンソースの世界では、コードよりもコミュニティとの関係が重要になる場面があることを、改めて思い出させてくれます。
