「あなたは遺伝的に糖尿病になりやすい体質です」。最近、唾液を送るだけで病気のなりやすさが分かるという遺伝子検査サービスを目にする機会が増えました。日本でも、ジーンクエストや、ユーグレナの「ユーグレナ・マイヘルス」といったサービスが、複数の遺伝子をまとめてスコア化する「ポリジェニックリスクスコア(PRS)」を使った検査を提供しています。しかし、その結果を「生まれつきの体質」として受け取ってしまうのは、科学的にはかなり危ういのです。Nature Human Behaviourに2026年5月18日付で掲載された意見論文「ポリジェニックリスクスコアは遺伝的素因ではない」は、まさにこの誤解に正面から異議を唱えた論考です。
そもそもPRSとは何なのか
PRSは、ある病気や形質に関連する遺伝子の変異を、統計的な強さで重みづけて合計したスコアです。たとえば心臓病であれば、心臓病になった人とならなかった人を大規模に比べて、「この変異を持っている人は少しだけリスクが高い」という関係を一つひとつ積み上げていきます。
注意したいのは、PRSが個人の中にもともと存在する性質を測っているわけではない、という点です。あくまで「過去のある集団のデータから見て、似た遺伝情報の人がどれくらい発症しやすかったか」を表した推定値にすぎません。東北メディカル・メガバンク機構なども、PRSを「集団全体の中での相対的な位置を示す指標」として丁寧に説明しています。
「遺伝的素因」と言うとなぜ危険なのか
論文の著者であるハーバード大学医学大学院のレミー・A・フラー氏と、バージニア大学のエリック・N・タークハイマー氏は、研究者やメディアがPRSを「遺伝的素因」と表現してしまう問題を指摘しています。
「素因(predisposition)」と書かれると、私たちはつい「その人の体の中に、病気の種が最初から眠っている」とイメージしがちです。著者らはこの傾向を遺伝子本質主義と呼びます。遺伝情報を、その人を内側から定義する固定的な性質のように受け取ってしまう、人間の認知的なクセです。
しかし実際のPRSは、次のような特徴を持っています。
- 参照する集団が変われば、スコアの意味も変わる
- 生活環境が違えば、同じスコアでも発症率は変わる
- 統計モデルや解析手法が変われば、同じゲノムでも結果が変わる
つまりPRSは、個人の中にある内在的な素質ではなく、外部のデータと比較してはじめて意味を持つ、相対的な指標なのです。著者ら自身も「過去の論文でつい『遺伝的素因』と書いてしまった経験がある」と認めており、それくらい本質主義的な言い回しが研究者にも染み付いていると吐露しています。
本当の「遺伝的素因」とどう違うのか
ではどんな場合に「遺伝的素因」と呼んでも問題ないのでしょうか。論文が対比として挙げるのが、ハンチントン病を引き起こすHTT遺伝子の変異です。
| 種類 | 例 | 性質 |
|---|---|---|
| 単一遺伝子の高浸透率変異 | HTT遺伝子のCAGリピート伸長 | 変異と疾患の関係が強く、発症の仕組みも分子レベルでよく説明できている |
| ポリジェニックリスクスコア | 心臓病や2型糖尿病などのPRS | 集団統計から推定される相対リスク。生物学的経路は明確でない |
ハンチントン病の場合、CAGという塩基配列の反復回数が病的な範囲まで増えると、異常なタンパク質が作られて神経細胞が壊れていく、という生物学的な道筋がはっきりしています。これは確かに、その人の中にある「素因」と表現してよい性質です。
一方でPRSの多くは、無数の変異が小さく寄与し合った統計の産物であり、ハンチントン病のような明確な発症メカニズムは存在しません。両者を同じ「遺伝的素因」という言葉でまとめてしまうのは、科学的にも倫理的にも望ましくない、というのが著者らの主張です。
記者の視点:日本の遺伝子検査ブームへの示唆
日本でも消費者向けの遺伝子検査はすっかり身近になりました。検査キットを買えば、肥満になりやすさや心臓病のリスクなど、さまざまな項目の結果が手元のスマートフォンに届きます。便利な反面、こうしたスコアを「自分の運命」と受け止めてしまう人も少なくありません。
しかし論文の主張に沿って考えれば、それは大きな誤読です。PRSはあくまで、ある集団・ある環境を前提とした統計モデルからの推定値であり、同じスコアでも、生活習慣や医療環境、遺伝的祖先や集団的背景が変われば意味も変わります。特に日本のように、欧米と異なる集団でPRSを使う場合は、海外データに基づくスコアの精度が下がることが知られており、東北メディカル・メガバンク機構などが日本人集団に合わせた研究を進めているところです。
検査結果を読むときに大切なのは、「自分の体に病気が埋め込まれている」と思い込むことではなく、「自分が属する集団の中での、現時点での相対的な位置を示すヒント」として扱うことだと言えそうです。
数字に振り回されないための、これからの遺伝子情報との向き合い方
PRSは、心臓病や糖尿病、精神疾患などのリスク評価に役立つ可能性を秘めた、注目すべき技術です。それでも、その数値を「変えられない宿命」のように扱ってしまえば、生活習慣の改善や医療との対話といった、本来一番大切なものが見えなくなってしまいます。
Nature Human Behaviourの今回の論考は、研究者・医療者・メディアの言葉づかいに警鐘を鳴らすものですが、私たち利用者にとっても重要なメッセージを含んでいます。遺伝子検査の結果を受け取ったときには、「自分は遺伝的に○○な人だ」と決めつけるのではなく、「今の自分の選択次第で、未来は十分に動かせる」と捉え直してみる。そんな読み解き方が、これからの遺伝子情報時代とうまく付き合うコツになるはずです。
