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人類最古の火葬か、エチオピアで10万年前のホモ・サピエンスの焼骨

お盆やお彼岸にお墓を訪れるたび、「人はいつから死者を弔うようになったのだろう」とふと考えたことはないでしょうか。日本では火葬が遺体を送る方法としてほぼ全例を占めますが、世界の歴史を遡ると、火葬という習慣の起源は意外なほどはっきりしていません。そんな中、研究者がエチオピアで約10万年前の火葬の痕跡らしきものを発見したというニュースが報じられました。「人類最古の火葬か、10万年前まで遡る可能性」と紹介されたこの調査結果は、これまで最古とされてきた事例を一気に6万年遡るかもしれません。今回はその発見の中身と、人類の死生観の起源に迫る意味を読み解きます。

10万年前のアフリカで何が起きたのか

舞台となったのは、エチオピア北東部に広がるアファール地溝の中のミドル・アワッシュ研究域です。ここは「人類のゆりかご」とも呼ばれ、アウストラロピテクスをはじめ初期人類の化石が次々に発見されてきた地域です。今回の調査は、その中でもファロ・ダバと呼ばれる屋外遺跡で行われました。

研究チームは、少なくとも3個体分のホモ・サピエンスの部分骨格を発掘しました。そのうち1個体に由来するとみられる歯や小骨片に、強い熱を受けたとみられる痕跡が確認されたのです。具体的には、焦げや色の変化、ひび割れ、破砕などの特徴が認められました。これらは、火葬を含む高温での焼成によって骨に現れうる変化です。

興味深いのは、3個体の骨がそれぞれ異なる死後経過を示していた点です。ある個体は比較的すばやく埋没したとみられ、別の個体の骨片には高温で焼けた痕跡があり、さらに別の個体には大型肉食動物による歯型や破損が確認されています。研究チームはこの状況を「死と遺体の保存を巡る複雑な出来事の連鎖」と表現しており、当時の人々が暮らした氾濫原での死の痕跡が、いくつもの形で残されたことをうかがわせます。

火葬と山火事をどう見分けるのか

骨が焼けていたからといって、それがすぐに「火葬」とは限りません。サバンナで起こる自然の山火事でも、人骨は同じように焦げる可能性があります。研究チームが慎重に検討しているのもまさにこの点です。

判断の手がかりになるのが、骨の焼け方や焼けた部位の分布、焼けた範囲の温度、そして周囲の堆積物の状況です。意図的に火葬された場合は、特定の温度帯で骨が長時間さらされた痕跡が残りやすく、自然火災とは異なるパターンを示します。今回の発見が本物の火葬かどうかは、さらに詳しい分析を経て確定される見通しです。

比較項目 自然火災で焼けた骨 意図的な火葬が疑われる骨
焼け方 不均一になりやすい 一定の温度条件を示す場合がある
温度の証拠 低温・短時間のことがある 高温にさらされた痕跡が残る場合がある
周囲の状況 広範囲の焼土や炭化物と関連しやすい 局所的な焼成痕や人為的配置が手がかりになる

これまで最古とされていたのは、オーストラリアで見つかった約4万2000年前の「ムンゴ・レディ」の事例です。もし今回の発見が火葬と確定すれば、人類の死者を弔う行為の歴史が一気に6万年ほど遡ることになります。

年代は二重の手法で測られた

10万年前という数字には、しっかりとした根拠があります。研究チームは2種類の独立した手法で年代を確かめました。

ひとつは、火山灰に含まれる鉱物中のカリウムが時間とともにアルゴンへ放射壊変する性質を利用したアルゴン同位体年代測定です。火山が噴火した時期を高い精度で押さえることができます。もうひとつはダチョウの卵殻に含まれるウランを使ったウラン・トリウム年代測定です。この2つの結果がほぼ一致したことで、地層がおよそ10万年前のものであることが裏付けられました。

発掘現場では、人骨だけでなく数千点の石器と3,000点を超える動物化石も見つかっています。石器の中には、地域外からもたらされた可能性のある黒曜石もあり、当時の人類が広範囲を移動していたか、石材をやり取りするネットワークを持っていた可能性を示しています。動物化石には霊長類や齧歯類、レイヨウのような中型哺乳類、さらに大型哺乳類まで含まれており、湿潤な氾濫原に多様な生物が暮らしていたことがうかがえます。

記者の視点:死を悼む文化はどこから始まったのか

死者を焼いたり埋めたりする行為は、単なる衛生対策ではなく、死後の世界への思いや共同体としての別れの形でもあります。ネアンデルタール人にも埋葬の痕跡があると指摘されていますが、火を使う本格的な葬送はこれまで比較的新しい時代の文化と考えられてきました。

10万年前のアフリカは、ホモ・サピエンスがのちに世界各地へ本格的に広がっていく以前の時期にあたります。その人々が遺体に火を用いていたとすれば、私たちの祖先が極めて早い段階から象徴的な行為や儀礼を持っていたことになります。日本の縄文時代よりはるか昔、ナイル川の文明よりもさらに昔から、人は死を意味づけ、何らかの形で見送っていたのかもしれません。

ただし、今回の発見は「火葬の可能性がある」段階であり、自然要因をすべて排除できたわけではありません。研究チームが「複雑な出来事の連鎖」と慎重に表現しているのは、その不確実性を踏まえてのことです。それでも、二重の年代測定と現場の精密な記録は、議論を一歩前に進める強い根拠になっています。

葬送の起源をたどる新しい一歩

今回の発見は、人類の文化の根っこにある「死と向き合う行為」の起源を、これまで以上にアフリカの古い時代へとつなぎ直す手がかりになりそうです。ファロ・ダバ遺跡では、今後も人骨や石器の分析が続き、火葬が意図的だったのかどうかをめぐる議論が深まっていくはずです。

私たちが日常的に行っているお墓参りやお別れの儀式の遠い源流が、10万年前のアフリカの川辺にあったのかもしれない、と想像すると感慨深いものがあります。次々と新しい発見が続くミドル・アワッシュの研究は、人類が文化と心を獲得していった道のりを、今後も更新していく可能性があります。