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ボルツマン限界を超える「記憶するトランジスタ」、省エネ半導体の新原理

スマートフォンを長時間使うと本体が熱くなり、バッテリーがみるみる減っていく経験は誰にでもあると思います。実はこの「熱と電力」の問題、半導体の根っこにある物理法則が原因の一つだと知っていたでしょうか。Phys.orgが2026年5月27日に報じた「ボルツマン限界を回避できる、記憶を保つトランジスタ」は、ブラジル主導の国際研究チームがその根本的な壁を回避しうる新しい理論を提案した、というニュースです。今回はこの「メムトランジスタ」という新原理の中身と、日本の半導体産業にとっての意味を読み解きます。

半導体に立ちはだかる「ボルツマン限界」とは

私たちが毎日使うパソコンやスマートフォンの中では、トランジスタという小さなスイッチが何百億個も並んで動いています。電圧を少しかけるだけで電流をオン・オフに切り替えるのがその役目です。

ここで問題になるのが、電圧をどこまで小さくできるか、です。従来型の半導体トランジスタでは、室温で電流を10倍変化させるのに、ゲート電圧を少なくとも約60ミリボルト変える必要があるとされます。これが「ボルツマン限界」と呼ばれる壁です。電子は温度に応じてランダムに動き回るため、ある下限よりもキレのよいスイッチングは原理的に作れない、というわけです。

トランジスタの寸法をどんどん小さくしてきた「ムーアの法則」の時代には、この壁はそれほど目立ちませんでした。ところが素子寸法がナノメートル領域まで縮んだ近年は、消費電力と発熱の問題が一気に表面化しています。AIサーバーが膨大な電力を食う背景にも、この物理的な天井が横たわっています。

記憶効果で壁を回り込む新発想

研究を主導したのは、ブラジル・サンカルロス連邦大学のビクトル・ロペス=リチャード氏らのチームで、ドイツ・ヴュルツブルク大学や米リッチモンド大学との共同研究です。学術誌Physical Review Appliedに掲載された論文で、彼らは「メムトランジスタ」と呼ばれる素子の理論モデルを示しました。

メムトランジスタは、ふつうのトランジスタにメモリ機能をくっつけたような素子です。ポイントは、半導体の結晶構造中の欠陥や界面などに電子が一時的に捕まり、時間差をもって放出される「電荷トラッピング」という性質を意図的に使うところにあります。

なぜ省エネにつながるのか

電子がトラップから出入りすると、素子の応答に履歴依存性、つまりヒステリシスが生じます。この応答の遅れが、結果として通常より小さいゲート電圧の変化で電流を切り替えられる可能性につながります。つまり、熱の揺らぎがつくる壁を、時間方向の記憶で巧みに迂回するイメージです。

これまでも壁を破る試みはありました。代表例が負容量トランジスタ(強誘電体を使う方式)や、トンネル電界効果トランジスタ(量子トンネル効果を使う方式)です。ただし、どちらも特殊な材料や精密な構造が必要でした。今回の理論は、すでに多くのナノスケール素子に内在している記憶効果を主役に据える点が新しいのです。

表でみる「壁の越え方」の違い

方式 必要なもの 製造の難易度
負容量トランジスタ 高品質な強誘電体 高い
トンネル電界効果トランジスタ 急峻なバンド構造の材料 高い
メムトランジスタ(今回) 既存素子にも見られる電荷トラッピング 比較的低くなる可能性

研究チームは、量子力学的な電子の動きと電荷トラッピングを一つの数式で扱う統一モデルを作り、設計者が使える「分析的な設計ルール」も提示したと説明しています。原理が解析的にわかれば、新素材を一から探さなくても、既存の素子設計や材料研究の蓄積を活かせる可能性が広がります。

記者の視点:日本の半導体戦略にどう響くか

日本では2020年代半ばから、ラピダスや経済産業省主導の先端ロジック・パッケージング戦略が動いています。先端微細化だけで競争するのが難しくなるなか、「省エネ」「特殊用途」での勝負どころが増えてきました。

メムトランジスタは、まさにその文脈で日本に追い風になる可能性があります。理由は3つあります。

  • 既存の半導体プロセスとの相性が比較的よい
  • 脳型計算(ニューロモーフィック・コンピューティング)と相性がよく、エッジAI向けに有利
  • メモリ材料や不揮発性素子の研究蓄積を活かせる余地がある

特にエッジAIは、サーバーに頼らずスマート家電や自動運転車の中で推論を行う技術で、低消費電力が命です。データセンターのGPUを増やすだけが半導体の未来ではなく、現場で小さく賢く動く半導体の存在感がますます増します。そこに、記憶と演算を同じ素子に重ねる新原理がはまりそうです。

一方で、今回の発表はあくまで理論モデルの段階で、製品化には材料の安定性や量産性など実装の壁が残ります。ここから先は応用研究の勝負で、日本のメーカーや大学が早期に試作を始められるかが分かれ目になるでしょう。

「電力に縛られない計算」への小さな一歩

AIの普及で世界の電力消費が急増し、データセンターの電力確保がエネルギー政策の課題にまでなっています。トランジスタ1個あたりの電力を下げる研究は、地味でも社会全体に効いてくるテーマです。

今回のメムトランジスタはすぐに製品化されるものではありませんが、「物理の壁にぶつかったら、別の物理を持ち込めばいい」という発想の柔軟さを示してくれます。記憶と演算の境目が薄れていく未来の半導体が、私たちの暮らしのなかでどう形になるのか。日本の研究機関や企業がどこまで試作・実装に踏み込めるかも注目点になります。