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肥料を減らせる作物へ一歩、窒素固定の遺伝子を別の細菌に移した10年研究

毎日食べているお米やパン、味噌や豆腐の原料になる大豆。イネやコムギなど多くの主要作物を育てる畑では、窒素を補うために化学肥料が広く使われています。日本の食卓を支えている化学肥料の多くは海外から輸入されており、原料価格が上がるたびに農家の経営は揺さぶられます。そんな構造を根本から変えるかもしれない研究が、アメリカから届きました。「窒素固定の遺伝子を別の細菌に移植、肥料を超える道筋が見えた」というニュースで、ワシントン州立大学の研究チームが、空気中の窒素を取り込む能力を持つ遺伝子の塊を、まったく別の細菌に移し替えることに成功したというのです。今回はその発見の中身と、将来の農業への影響を読み解きます。

化学肥料に依存する農業の現状

植物が育つには窒素が欠かせません。タンパク質や葉緑素のもとになるためです。地球の大気の約78%は窒素ですが、植物はそのままでは大気中の窒素を使えません。アンモニアなどに変換された形でしか吸収できないからです。

この壁を自力で乗り越えるのが、マメ科植物の根に共生する根粒菌です。大豆や枝豆、レンゲなどが窒素肥料を比較的少なめにしても育てられるのは、根粒菌が空気中の窒素を取り込んでアンモニアに変える「窒素固定」という反応を担ってくれているおかげです。詳しい仕組みはWikipediaの窒素固定の項にも整理されています。

一方、人類の主食を支えるイネ・コムギ・トウモロコシといった穀物には、マメ科植物のように根粒菌と共生して窒素を得る仕組みがありません。そこで20世紀以降、世界の食料を支えてきたのが人工の窒素肥料です。空気中の窒素を高温・高圧で水素と反応させてアンモニアを作る「ハーバー・ボッシュ法」によって、爆発的に増えた人口を養うことができるようになりました。ただ、この製造には大量の天然ガスが必要で、温室効果ガスの排出や、河川・地下水への流出による環境負荷も大きな問題になっています。

「窒素を取り込む遺伝子セット」を別の菌に乗せ換える

ワシントン州立大学バンクーバー校のステファニー・ポーター准教授らの研究チームが取り組んだのは、根粒菌が持つ窒素固定能力を、ほかの細菌にも「装備」させることでした。

鍵となったのは、共生アイランドと呼ばれる遺伝子の大きな塊です。根粒菌のゲノムにあるこの領域には、根にこぶ状の根粒を作らせ、植物の細胞内で共生しながら空気中の窒素を取り込むための遺伝子がまとまっています。研究チームはこれを、もともと窒素固定もマメ科植物との共生もできない別の細菌に丸ごと移すことを試みました。

細菌の「お見合い」を成功させる新技術

細菌同士が直接接触して遺伝物質を受け渡す現象を「接合」と呼びます。今回のような遠縁の細菌どうしでは、この接合はほとんど成功しないのが普通です。研究チームは新しい遺伝子工学のツールを開発し、本来うまくいかない組み合わせでも成功率を大幅に引き上げました。

その上で、共生アイランドを移植した結果を、数百万通りに及ぶ細菌と植物細胞の組み合わせで地道に試験しました。複数の細菌系統で、窒素固定の能力と植物との共生能力の「両方」が引き継がれることを確かめました。元の根粒菌に近い種類ほど成功率が高く、進化的な距離が近いほどこの遺伝子群がうまく働きやすいことも示されました。

「害」ではなく「益」になった驚きの結果

研究チームが意外に感じたのは、新しく組み合わされた共生関係の多くが、植物にとって有害ではなく、むしろ中立か有益だった点です。自然界では新しい共生関係が始まると、最初は片方が損をする「寄生」に近い状態になることが多いとされています。研究者の話を要約すると、設計された組み合わせでは、初期段階から有益または中立的な共生関係が成立する可能性があるということになります。

記者の視点:日本の食と環境にどう関わるか

この研究の最終目標は、トウモロコシやイネのような穀物の根に共生する微生物に、自分で空気中の窒素を取り込む力を持たせることです。実現すれば、化学肥料の使用量を大きく減らせる可能性があります。

日本にとって、この方向性はとくに重要です。日本のカロリーベースの食料自給率は約38%で、化学肥料の原料はほぼ海外に頼っています。価格や供給の不安定さは、農家だけでなく食卓の値段にも直結します。化学肥料を減らせれば、コスト削減だけでなく、河川への栄養流出による水質汚染や、亜酸化窒素という強力な温室効果ガスの排出も抑えられます。

国内でも、基礎生物学研究所などが根粒菌と植物の共生のリズムを解明する研究を進めており、世界の研究と組み合わせることで、日本の気候や土壌に合った「肥料を減らせる作物」の道筋が見えてくるかもしれません。

商業化までに残された大きな壁

もちろん、すぐに畑に並ぶ話ではありません。研究チーム自身も、どの遺伝子のどの変異が一番効率よく能力を移せるかをこれから絞り込むと述べています。

実用化までには、おおむね次のような課題が想定されます。

  • イネやトウモロコシの根に安定して住み着く微生物の選定
  • 環境中に放出された場合の生態系への影響評価
  • 各国の遺伝子組み換え微生物に関する規制への対応
  • 既存の化学肥料を前提とした農業システムとの整合

それでも今回の成果は、「窒素固定は根粒菌とマメ科の組み合わせだけのもの」という常識が、技術的に動かせる可能性を示した点で大きな一歩です。10年かけて積み上げられた基礎研究が、いずれ世界の食料安全保障と環境問題に直結する応用へと育っていくかもしれません。

食卓と地球を変える可能性を秘めた小さな細菌

普段あまり目にしない「窒素固定」という言葉ですが、私たちの食生活と地球環境のどちらにも深く関わるテーマです。今回の研究は、大気中に豊富にある窒素を、作物が利用できる形で届けるための道を開くものと言えます。実用化までには時間がかかりますが、化学肥料に頼り切らない農業への一歩を、研究者たちは確かに踏み出しました。次に大豆ご飯を口にするとき、根の周りで黙々と働く根粒菌のことを少しだけ思い出してみてもよいかもしれません。