人間と、土の中にいるアメーバと、海のイソギンチャク。姿もくらしも似ても似つかないこの三者が、遺伝子を働かせるときには「まったく同じ合図」を使っている——そう聞くと、少し不思議に感じないでしょうか。生き物が多種多様なら、その仕組みも生き物ごとにバラバラなはずだ、と思いたくなります。ところが実際は、遺伝子を「オン」にする言葉だけが20億年ものあいだほとんど変わらず、共通のままでした。奇妙なのはその先です。遺伝子を「オフ」にする言葉のほうは、生き物の系統ごとにまるで別物なのです。スペインの研究チームがまとめた「遺伝子を「オン」にする言葉は生命共通、「オフ」にする言葉は無数にある」という報告は、この奇妙な非対称を12種の生物から浮かび上がらせました。
そもそも遺伝子の「オン・オフ」とは何か
私たちの体は、一つの受精卵から始まったのに、肝臓の細胞にも神経細胞にもなります。どの細胞も同じDNAを持っているのに姿が違うのは、DNAのどの部分を「読む」かが細胞ごとに切り替わっているからです。
この切り替えを担うのがクロマチンという構造です。DNAはヒストンというタンパク質に巻き付いて収まっていて、そのヒストンに小さな化学的な目印がつきます。目印は「ここは読め」「ここは無視しろ」という付箋のような役割をはたし、同じ設計図から葉っぱと根っこ、あるいは肝臓と神経を作り分けます。この付箋の仕組みが乱れると、がんをはじめ多くの病気につながることも分かっています。
この付箋そのものは、約20億年前にいた真核生物最終共通祖先、通称LECAという単細胞生物までさかのぼる、とても古い発明です。動物も植物も菌類も、すべてこの祖先の子孫にあたります。
「オン」は共通、「オフ」はバラバラ
これまでこの付箋の研究は、ヒトやマウス、ショウジョウバエ、酵母といったごく一部の生き物に集中していました。生命全体の多様さから見れば、ほんの片隅しか調べられていなかったのです。
バルセロナのゲノム制御センター(CRG)の研究チームは、この片隅を一気に広げました。アメーバ、菌類、藻類、単細胞の捕食者、そしてイソギンチャクまで、系統の大きく異なる12種の生物について、12種類の付箋のつき方を丹念に地図にしたのです。
結果は鮮やかでした。働いている遺伝子につく付箋のパターンは、どの生物でもほとんど同じ形をしていました。ところが黙らせている遺伝子につく付箋は、系統ごとにまるで違ったのです。ある生物では一つの目印が特定のDNAを黙らせ、別の生物では複数の目印が重なって同じ働きをします。土のアメーバにいたっては、動物では「オン」を意味するはずの目印を、逆に「オフ」の合図として使い回していました。
なぜ「オフ」だけが多様になったのか
ここで自然とわいてくる問いは、活性化の合図がこれほど保たれているのに、なぜ抑制の合図だけが好き勝手に枝分かれしたのか、ということです。研究チームはその答えを、ゲノムの内側で続く「終わりなき攻防」に求めています。
どの生き物のDNAにも、自分自身をコピーして別の場所に貼り付けるトランスポゾン、いわゆる「動く遺伝子」がひそんでいます。ヒトのDNAでは、なんと約半分がこの動く遺伝子だとされます。放っておくと暴れかねない厄介な居候で、これを黙らせ続けることは生存に直結します。ある研究者は「抑え込む仕組みを完全に失った種は、寄生的な配列に耐えられず、もうそこにはいない。死んでいる」と表現します。
やっかいなのは、動く遺伝子の側も黙らされまいと進化し続けることです。相手が抜け道を探せば、宿主は新しい抑え込み方を編み出す。この追いかけっこが数億年くり返された結果、生命の樹の枝ごとに、それぞれ独自の「黙らせる道具箱」ができあがったというわけです。
記者の視点:ありふれた生き物を見ない損失
この研究がおもしろいのは、教科書に載る有名な実験動物ではなく、名前も知らないアメーバや藻類を調べたからこそ見えた点にあります。研究者の一人は「わずかな種を見ただけで、これほど多くの新しい規則が見つかった」と語ります。裏を返せば、私たちは扱いやすい少数の生き物だけを見て、生命のルールを知ったつもりでいたのかもしれません。
医療の面でも示唆があります。遺伝子の抑制が壊れる病気は多く、がんもその一つです。抑制の仕組みが生き物ごとにこれほど多彩だと分かれば、ヒトだけを見ていては気づけない制御の原理が、意外な生き物の中に眠っている可能性もあります。日本でも大学や研究機関がゲノムの網羅的な解読を進めていますが、配列を読むだけでは「どう使われているか」までは分かりません。今回のように使われ方を測る技術は、そこを埋める鍵になります。
「黙らせる」進化が語る、生命のしたたかさ
生命が20億年かけて守り抜いたのは、遺伝子を働かせる共通の言葉でした。一方で、危険なものを黙らせる言葉は、脅威と向き合いながら何度も作り直されてきました。多様さは行き当たりばったりの産物ではなく、生き延びるための工夫の跡なのです。ふだん名前も気にとめない小さな生き物たちが、実は生命の根っこにある知恵を今も語りかけている——そう思うと、足元の土や水たまりの見え方が少し変わってくるかもしれません。
