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100万年オスなし、それでも消えない仕組み ナナフシの謎

使わない道具は錆びる、身につけた語学も使わなければ忘れていく——わたしたちは経験から、そう信じています。生き物の体も同じで、必要のなくなった機能は時間とともに退化していくはずだ、と生物学者たちは長く考えてきました。ところが、その常識にそっと待ったをかける昆虫がいました。「100万年オスなしでも、ナナフシは使わない生物学的な仕組みを消さなかった」というイギリス・バンガー大学の研究です。100万年ものあいだオスをほとんど必要としなかったのに、オスに関わる仕組みだけが今もきちんと働き続けていたのです。この記事では、その不思議な発見と、進化についてわたしたちが抱きがちな思い込みを見直していきます。

オスがいなくても増えられるナナフシ

今回の主役は、アメリカ西部に生息する ティマ(Timema) という小さなナナフシの仲間です。翅を持たず、木の枝にそっくりの姿で枝葉に紛れて暮らしています。

この昆虫の変わっているところは、その増え方にあります。多くの動物はオスとメスが交わって子を残しますが、ティマの一部の種はメスだけで子を産みます。受精しないままの卵から、そのまま子が育つのです。この仕組みは 単為生殖 と呼ばれ、日本語では「処女生殖」と表現されることもあります。

驚くべきは、その期間の長さです。研究チームによれば、ティマのある種はおよそ100万年ものあいだ、オスとの交わりなしに繁殖を続けてきました。これは昆虫として知られているかぎり、最も長い「オスなし」の記録だといいます。オスはごくまれにしか現れず、繁殖のうえでほとんど出番がありません。

消えているはずだった「釣り合いの仕組み」

では、そんなに長くオスが不要だったなら、オスに関わる体の仕組みはどうなっているのでしょうか。研究チームが注目したのは 遺伝子量補償 と呼ばれるものでした。

少しかみ砕いて説明します。多くの生き物では、性を決める染色体の数がオスとメスで違います。ティマの場合、オスはX染色体を1本だけ、メスは2本持っています。染色体の数が違えば、そこに乗っている遺伝子の働く量にも差が生まれてしまいます。この差をならして、雌雄で遺伝子の働きを釣り合わせるのが遺伝子量補償の役割です。

研究を率いたダレン・パーカー博士は、この点にこそ問いがあると考えました。オスがほとんどいない世界では、オスとメスの遺伝子の働きを釣り合わせる必要はもうありません。使われない仕組みなら、100万年もたてば壊れて消えていても不思議ではない——チームはそう予想して調べ始めたのです。

進化は、いらないものをすぐ捨てるとは限らない

ところが、まれに現れるオスで遺伝子の働き(発現)を詳しく調べてみると、結果は予想と正反対でした。遺伝子量補償の仕組みは退化するどころか、今も完璧に機能していた のです。100万年ものあいだ必要とされなかったにもかかわらず、です。

この研究は、権威ある学術誌である米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表されました。あわせて、生殖細胞をつくる過程で性染色体の働きが抑えられる「減数分裂期の性染色体不活性化」という別の仕組みも保たれていたことが確認されています。使われないはずの仕組みが、二つそろって生き残っていたわけです。

なぜ消えなかったのか。その理由はまだはっきりとは分かっていません。ただ一つ言えるのは、「使わない機能はすぐに退化する」という、わたしたちが当たり前だと思っていた考え方が、そのままでは通用しないということです。

「使わなければ錆びる」の先にある進化の奥行き

冒頭で触れた「使わない道具は錆びる」という感覚は、人の暮らしではおおむね正しいのでしょう。けれど生き物の進化という長い時間の物差しでは、話はもう少し複雑なようです。

必要がなくなったからといって、進化は機能をすぐに投げ捨てるわけではない。むしろ、壊してしまうより保っておくほうが何かと都合がよいのか、あるいは他の仕組みと深く結びついていて簡単には切り離せないのか——ティマのナナフシは、そんな新しい問いをわたしたちに投げかけています。

小さな枝そっくりの虫が、100万年間そっと抱え続けてきた「使わない仕組み」。それは、生き物の設計図がわたしたちの直感よりもずっと粘り強く、奥行きのあるものだと教えてくれます。次にどんな理由が明らかになるのか、続報が楽しみな研究です。