雨ざらしの車がいつの間にか錆びていく。これは雨水に溶けた塩分や酸性物質、酸素などが塗膜の傷から入り込み、金属を腐食させるからだと考えられてきました。ところが、同じ水滴でも「ある条件」を満たしたものだけが塗装を突き破り、帯電していない水滴は3,000回ぶつかっても表面に傷ひとつ残さない、という奇妙な実験結果が報告されました。ドイツのマックス・プランク高分子研究所が主導した研究で、Ars Technicaは「雨粒は小さな稲妻、車を腐食させると研究が指摘」と伝えています。雨のサビには、化学反応とは別のもう一つの犯人がいたのです。
葉っぱの上を転がるだけで水滴は帯電する
その犯人の正体は「電気」です。研究が出発点にしたのは、ここ数年でようやく正確に測れるようになったスライド帯電という現象でした。水滴が葉っぱや窓ガラス、塗装された壁のような電気を通さない表面を滑り落ちるとき、その表面から電荷を奪い取り、自分自身が帯電するのです。しかもこの電圧は小さくありません。こうして帯びる電圧は、最大で9,000ボルトにも達することが確かめられています。
つまり、屋根や葉の上を伝って落ちてくる雨粒は、私たちが思っている以上に「電気を帯びた粒」なのです。研究チームが次に知りたかったのは、その電気を持った水滴が、着地した先の表面に何をするのか、という点でした。
3,000滴で、テフロンの鎧に穴が開いた
実験はこうです。塩をひとつまみ加えて雨水に似せた水滴を、50度に傾けた表面の上を滑らせて帯電させます。滑り落ちた水滴は、化学的に最も丈夫なコーティングの一つであるテフロンを60ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)の薄い膜にして覆った銅板の上に落とされました。傾けた表面には研究室の観葉植物の葉やホームセンターの発泡ボードなど、身の回りにあるものが選ばれています。
結果は劇的でした。半日ほどの穏やかな雨に相当する3,000滴を落とすと、テフロンで守られていたはずの銅板は、いずれの表面を滑った水滴でも腐食していたのです。顕微鏡で見ると、テフロン膜の厚みよりも深い穴がいくつも開き、傷は膜を貫いて金属まで達していました。一方、途中で滑らせず直接落として帯電しなかった水滴は、同じ3,000回ぶつけても表面はきれいなままでした。差を生んだのは、水滴が電気を帯びていたかどうかだけだったのです。
高速カメラは、その瞬間をとらえていました。帯電していない水滴は着地の直前まで底を丸く保つのに、帯電した水滴は表面に近づくと底が鋭く尖り、テイラーコーンと呼ばれる円錐形に変形します。これは、水滴と金属の間の電気の力が、水の表面張力を上回るほど強まっている証拠でした。
稲妻と同じ「絶縁破壊」が塗膜で起きていた
では、なぜコーティングは破られるのでしょうか。水滴が近づくほど、水滴と金属の間の電界はぐんぐん強くなります。研究チームの計算では、強く帯電した水滴は表面まであと10マイクロメートルほどの距離で、テフロンが絶縁性を失う限界に達していました。この限界を超えた瞬間、電気は膜を一気に突き破ります。これはコンデンサーや変圧器の絶縁材を壊すのと同じ絶縁破壊という現象で、いわばごく小さな稲妻が塗膜の中で走るようなものです。実測でも、電荷のほとんどが一瞬で銅へ流れ込んでいました。
さらに巧妙な実験もあります。3分の2が石英、残り3分の1が銅の板を、継ぎ目の見えない一枚のテフロンで覆ったところ、帯電した水滴は表面からは見えないはずの石英と銅の境界線に沿ってきれいに腐食の線を刻みました。水滴は触れている表面ではなく、その下にある「反対の電荷を供給できるもの」に反応していたのです。塗膜の表面が一様でも、その下に金属が隠れている場所では電界が強まり、損傷が起こるということです。
記者の視点:橋も船も文化財も「見えない標的」
この発見が重いのは、標的が車だけではないからです。研究チームは、電気を通す部品や電気をためやすい部品が絶縁体の中に埋め込まれた構造では、同じ影響が起こりうると指摘します。橋、船体、塗装した鉄骨、屋外に置かれた電子機器の樹脂ケース、そして歴史的建造物の金属装飾。どれも私たちの社会を支えるものばかりです。
日本は雨が多く、海に囲まれ、そして寺社や城など金属を使った文化財を数多く抱える国です。水滴は雲や雷雨、海の波、噴水、滝などでも自然に帯電するとされ、この仕組みはこれまで十分に測られないまま、あらゆる場所で静かに働いてきた可能性があります。インフラの点検や文化財の保存を考えるうえで、「化学的な強さ」だけでコーティングを選んできたこれまでの常識を、一度見直す必要がありそうです。
分厚くするだけでは終わらない、次の防御へ
対策の糸口は見えています。研究では、同じ電圧でも膜を十分に厚くすれば電界が材料の耐えられる範囲まで下がり、腐食を防げることが示されました。ただし、透明でなければならない光学膜や、軽さを求められる航空機の保護膜のように、厚くできない場面も多くあります。
雨ざらしで錆びていく車を思い浮かべれば、本当に必要なのは、薬品への強さに加えて、どれだけの電気に耐えられるかまで見て選ばれたコーティングだ、というのがこの研究の結論です。雨粒に潜んでいた小さな稲妻の正体がわかった今、私たちはようやく、正しい鎧を設計する出発点に立てたのかもしれません。
