米国のStewartville Starの報道によると、長年、物理学者を悩ませてきた「量子科学における未解明の謎」がついに解き明かされました。ライス大学の研究チームが、これまで観測が困難とされてきたある量子現象を実験的に捉えることに成功したのです。この画期的な発見は、未来の技術、特に量子コンピューターの開発に大きな影響を与える可能性があります。
長年の量子科学の謎:超放射相転移への挑戦
「超放射」の理論
1954年、物理学者のロバート・H・ディッケは、特定の条件下で励起された多数の原子が個別に光を放出するのではなく、完璧に同期して一斉に光を放つという、超放射の画期的な理論を提唱しました。
ディッケはさらに、この超放射現象が物質の相転移を引き起こし、まったく新しい状態(相)を生み出す可能性を予測しました。これを「超放射相転移(SRPT)」と名付けました。
謎を阻んできた「ノーゴー定理」
しかし、SRPTは70年以上にわたり理論上の概念に留まっていました。その主な障害となっていたのが、特定の状況下で物理現象が実現不可能であることを示す、悪名高い「ノーゴー定理」でした。この定理は、従来の光を基盤としたシステムではSRPTが起こり得ないことを示唆しており、長年多くの量子物理学者を悩ませ、その観測を妨げてきた理論的な障壁でした。
量子現象の多くは、極端な環境条件でなければ現れません。今回のSRPTの発見もその例に漏れず、量子科学における他の画期的な成果と同様に、研究者たちが実験条件を極限まで引き上げる必要がありました。
70年越しの壁を破ったライス大学の挑戦
「極限状態」を作り出す
2025年4月4日、ライス大学の科学者たちは、学術誌『Science Advances』で画期的な研究成果を発表しました。彼らは、固体材料においてSRPTを実際に誘発し、観察することに成功しました。この実験では、以下に示すような「極限状態」を作り出す必要がありました。
- 超低温: エルビウム、鉄、酸素の3つの元素からなる特殊な結晶を、マイナス271.67℃(絶対零度からわずか数千分の1度という極めて近い温度)まで冷却しました。絶対零度とは、理論上、原子や分子の動きが完全に止まる最低温度です。
- 超強力な磁場: この結晶に、地球の自然な磁場の約10万倍にもなる非常に強力な磁場を加えました。このような環境下では、物質の量子効果が支配的になり、普段は見られない特異な現象が起きやすくなります。
光の代わりに「マグノン」で実現
この厳しく管理された環境の中で、研究者たちは、鉄とエルビウムのイオンという2つのサブシステムが、完璧に協調して集団的な揺らぎの状態に入るのを観察しました。しかし、ディッケが当初予測した光の相互作用とは異なり、これらの粒子は「マグノン」と呼ばれる磁気の波を通じて情報をやり取りしていました。
マグノンとは、粒子の磁気モーメント(スピン)の集団的な励起が伝わる「準粒子」です。このマグノンが、ディッケのモデルにおける「量子真空のゆらぎ」の代わりとなることで、研究チームは、これまでSRPTの観測を妨げてきた理論上の限界を克服することができました。
量子コンピューター革命への道
量子ノイズを減らす「スクイーズド状態」
今回の発見は、単なる理論的な証明に留まらず、特に量子コンピューターにとって非常に大きな実用的な意味合いを持っています。量子コンピューターは、「量子ビット」という、0と1に加え、その両方の状態を同時に取りうる情報単位(重ね合わせの状態)を使います。しかし、この量子ビットは非常にデリケートで、「量子ノイズ」(量子情報の誤りの原因となるゆらぎ)によって情報が失われやすい「デコヒーレンス」という現象を抱えていました。
今回のSRPT現象は、量子ノイズを大幅に低減できる「スクイーズド状態」という量子的な状態を自然に安定させることが判明しました。スクイーズド状態とは、量子力学の不確定性原理を利用し、ある物理量の不確かさを減らす代わりに別の物理量の不確かさを増やすことで、特定の情報をより正確に保つことができる量子的な状態を指します。
安定した量子技術への期待
この発見は、エラーの少ない、より安定した量子ビットの開発につながる可能性があります。これにより、量子センサー(微細な変化を極めて高精度に測る装置)や超高感度な実験の精度が向上するでしょう。また、将来の量子コンピューターでは、より高速な論理ゲートが実現するでしょう。SRPTの「集団行動」という性質は、デコヒーレンスという現在の量子技術における最大の障害の一つから、量子ビットを本質的に保護してくれる可能性があります。
これにより、量子コンピューターの開発者たちは、一つ一つの量子ビットを個別に管理するのではなく、システム全体が内部の相互作用によって自ら安定するような仕組みを活用できるようになるかもしれません。これは、量子情報の寿命を延ばし、信頼性を高め、将来のプロセッサーの小型化にもつながると期待されています。
量子技術の未来と展望
今回の観測は画期的な発見ですが、SRPTが産業界のツールとなるまでにはまだ相当な努力が必要です。研究の共著者であるキム・ダソム氏は、「この発見は、量子センサーと量子コンピューター技術の信頼性、感度、性能を大幅に向上させることで、革命を起こす可能性がある」と述べています。
量子超越性を巡る競争には、気候モデリングからサイバーセキュリティまで、複数の領域で大きな利害が絡んでいます。今回の「蘇った」理論は、これまで不可能と考えられてきた新世代の量子技術を可能にし、この10年における最も重要な科学的驚きの一つとなるかもしれません。
SRPTの観測は、何十年にもわたる理論研究の正しさを証明しただけでなく、まったく新しい研究の方向性を開くものです。量子技術の未来は、これまで以上に明るく、よりコヒーレントなものとなり、まだ想像されていない分野への応用が広がる可能性があります。
