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老化で衰える記憶力は回復する?遺伝子編集が拓く認知症治療の未来

「最近、物忘れが多くなった」「記憶力が衰えてきたかも…」

年齢を重ねるにつれて、このように感じる方は少なくないでしょう。加齢による記憶力の低下は、ある程度避けられないものと思われがちですが、実は脳内で起こる特定の分子レベルの変化が原因であることが、最新の研究で明らかになってきました。

バージニア工科大学の研究チームが、老化によって衰えた記憶力を高める画期的な方法を発見したのです。この成果は、将来の認知症治療にもつながる可能性を秘めており、多くの人にとって希望の光となるかもしれません。この記事では、「老化脳の記憶力を高める方法が見つかる」という研究をもとに、記憶力に影響を与える脳内のメカニズムと、それを改善する新たなアプローチについて分かりやすく解説します。

なぜ記憶力は衰えるのか?脳内で起こる2つの変化

これまで、加齢による記憶力の低下は、脳の機能が全体的に衰える結果だと考えられてきました。しかし、今回の研究は、特定の分子の働きが乱れることが直接的な原因である可能性を示しています。特に注目されたのは、タンパク質の働きを調整する仕組みと、記憶を助ける遺伝子の活動低下です。

1. 脳の働きを乱す「分子タグ」の異常

私たちの脳では、K63ポリユビキチン化という仕組みが、タンパク質に「目印」を付けることで、記憶の形成などをスムーズに進めています。この目印は、いわばタンパク質への「指示書」のようなもので、正常に機能するために不可欠です。

しかし、研究チームが発見したのは、加齢によってこの指示系統が混乱してしまうという事実でした。

  • 海馬(記憶の司令塔):新しい記憶の形成に重要な役割を果たす「海馬」では、加齢とともにこの目印が過剰になっていました。
  • 扁桃体(感情の記憶装置):感情を伴う記憶に関わる「扁桃体」では、逆にこの目印が不足していました。

脳の異なる場所で正反対の異常が起こり、まるで優秀な秘書が指示を間違えるかのように、記憶に関する作業がうまくいかなくなっていたのです。これが、物忘れの一因と考えられます。

2. 記憶を助ける遺伝子の「スイッチオフ」

もう一つの原因は、記憶の形成をサポートするIGF2という遺伝子の活動が鈍ってしまうことです。IGF2遺伝子は、新しい記憶が作られるのを助ける重要な役割を担っています。

しかし、加齢に伴い、DNAメチル化という化学変化が起こります。これは、遺伝子のスイッチに「オフ」のタグが付いてしまうような状態で、IGF2遺伝子の働きを抑制してしまいます。その結果、本来記憶を助けてくれるはずのIGF2が機能しなくなり、記憶力が低下してしまうのです。

これらの発見は、記憶力の低下が単なる老化現象ではなく、修正可能な分子レベルの変化によって引き起こされることを示唆しています。

最新の遺伝子編集技術で記憶力は回復するのか

研究チームは、記憶力低下の原因となるこれらの分子レベルの変化を、最新の遺伝子編集技術を用いて修正できることを突き止めました。高齢のラットを用いた実験では、驚くべき結果が得られています。

2つのアプローチで脳機能を「再起動」

研究では、主に2つの技術が使われました。

  • CRISPR-dCas13 RNA編集システム 海馬で過剰になっていた「K63ポリユビキチン化」のレベルを正常に引き下げるために使用。指示が多すぎて混乱していた状態を整理整頓するようなアプローチです。

  • CRISPR-dCas9 IGF2遺伝子の活動を止めていた「DNAメチル化」という“フタ”を取り除くために使用。これにより、IGF2遺伝子のスイッチが再びオンになり、記憶形成をサポートできるようになりました。

これらの技術によって脳内の分子バランスを調整した高齢のラットは、記憶テストで若いラットに近い成績を示し、記憶力が大幅に改善することが確認されました。この結果は、加齢による脳の変化を元に戻し、失われた記憶力を回復させられる可能性を明確に示しています。

超高齢社会・日本にとっての希望

2023年時点で、日本の65歳以上の人口は総人口の約3割に達し、世界でも類を見ない超高齢社会を迎えています。厚生労働省の推計では、2025年には高齢者の約5人に1人が認知症になると予測されており、記憶力の低下はもはや個人的な問題ではなく、社会全体で向き合うべき課題です。

このような状況の中、今回の研究成果は大きな希望をもたらします。これまで「年のせい」と諦められていた記憶力の低下が、科学的なアプローチによって改善できる可能性が示されたからです。

この技術が人間へ応用されるまでには、安全性や倫理面での検証など、まだ多くのハードルがあります。しかし、記憶力低下の根本原因に光が当たったことは、アルツハイマー病をはじめとする認知症の予防や、より効果的な治療法の開発に向けた確かな一歩と言えるでしょう。

記憶は「自分らしさ」の源泉:科学が拓く未来と私たちができること

今回の研究に触れて改めて感じるのは、「記憶」が持つ本質的な価値です。楽しかった思い出、乗り越えた困難、愛する人との絆——。記憶は、私たちの人生そのものを紡ぎ出す糸であり、個人のアイデンティティ、つまり「自分らしさ」を形作る源泉です。

加齢や病によってその糸がもつれてしまうことは、計り知れない喪失感を伴います。この研究は、単に物忘れを防ぐだけでなく、一人ひとりが持つかけがえのない人生の物語を守り、その人らしさを未来へつなぐための大きな社会的意義を持っています。

未来の医療に期待を寄せると同時に、私たちは「今」からできることにも目を向けるべきです。バランスの取れた食事や適度な運動、そして新しいことへの挑戦といった知的好奇心が、脳の健康を保つ上で重要であることは広く知られています。科学の進歩に関心を持ちながら、日々の生活の中で自らの脳をいたわること。それこそが、記憶と共に豊かに生きる未来への、最も確実な一歩となるのではないでしょうか。