ダイヤモンドや鉛筆の芯と同じ炭素から作られる新素材「グラフェン」が、物理学における長年の謎を解明する鍵となりました。インドと日本の共同研究チームは、グラフェンの中で電子がまるで抵抗のない液体のように振る舞う「ディラック流体」という特殊な状態を発見し、これが物理学の根本法則から大きく逸脱する現象であることを突き止めました。この画期的な発見は、科学ニュースサイトSciTechDailyの「Decades-Old Quantum Puzzle Solved: Graphene Electrons Violate Fundamental Law of Physics」でも報じられています。本記事では、このディラック流体とは何か、なぜ物理学の常識を覆す発見とされているのか、そして私たちの未来の技術にどう影響するのかを分かりやすく解説します。
グラフェンの中で電子が「液体」になる?ディラック流体とは
「電子が抵抗なく、水のように流れる」。まるでSFのような話ですが、これを可能にするのが、炭素原子が蜂の巣状に結びついた極薄のシート状物質「グラフェン」です。グラフェンの中で観測されたこの特異な電子の振る舞いは「ディラック流体」と呼ばれています。
通常、電子は個別の粒子として振る舞いますが、グラフェンが「ディラック点」と呼ばれる特殊な状態になると、電子たちは個々の動きを止め、集団として一つの滑らかな液体のように流れ始めます。このディラック流体は、水の100分の1ほどの粘性しかない、つまり非常に「サラサラな」状態であることが分かっています。
この現象は、ビッグバン直後の初期宇宙に存在したとされる「クォーク・グルーオン・プラズマ」という超高温・高密度の物質状態を、実験室で再現するものだと考えられています。
物理学の常識を覆す発見:宇宙の謎を解く鍵に
このディラック流体の発見が画期的なのは、長年信じられてきた物理法則を覆した点にあります。
「ウィーデマン-フランツの法則」からの大きな逸脱
金属の世界では、電気の伝わりやすさと熱の伝わりやすさが比例するという「ウィーデマン-フランツの法則」が広く知られています。しかし、グラフェン中のディラック流体は、この法則から200倍以上も逸脱することが明らかになりました。これは、電気を運ぶ電子と熱を運ぶ電子の振る舞いが完全に分離していることを示唆しており、物質の基本的な性質に関する私たちの理解を大きく塗り替えるものです。
実験室で宇宙の謎を探る
この発見は、高エネルギー物理学の世界にも大きな影響を与える可能性があります。例えば、ブラックホールの性質を熱力学的に解明する「ブラックホール熱力学」や、量子のもつれ具合を示す「エンタングルメント・エントロピーのスケーリング」といった難解な宇宙の謎は、これまで主に理論上でしか研究できませんでした。
しかし、グラフェンはこれらの現象を実験室で再現・検証するための、低コストな「ミニチュア宇宙」となる可能性を秘めています。身近な材料を使って宇宙の根源に迫れるかもしれないのです。
グラフェンの発見が拓く、科学と技術の未来
今回の発見は、物理学の基本的な法則を見直すきっかけとなるだけでなく、高エネルギー物理学の壮大な謎を解明する「実験室」としての可能性も示しました。そして、この基礎科学の探求は、私たちの未来を形作る「量子技術」の発展にも直結します。
この国際共同研究には日本の国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)も参加しており、世界をリードする知見で貢献しています。
ディラック流体の、抵抗が極めて低い状態で電子が流れる性質は、次世代の超高感度な「量子センサー」への応用が期待されています。こうしたセンサーが実現すれば、将来的には医療診断の精度向上や、これまで検知できなかった微弱な環境変化のモニタリングに貢献するかもしれません。さらに、この特殊な電子状態は、従来のコンピューターの計算能力を遥かに超える量子コンピューティングの実現に向けた、新たな材料開発のヒントとなる可能性も秘めています。
ダイヤモンドや鉛筆の芯と同じ「炭素」という身近な物質が、宇宙の根源に迫り、未来の革新技術の礎を築く。一枚の炭素シートから始まったこの物語が、科学と技術の未来をどう塗り替えるのか、今後の展開が注目されます。